3月8日

 今日は雨、花粉症の俺には恵みの雨。助かる。

 昨日の続き。

 古事記の内容が、明治中には、昔話として、教科書や絵本になり、一般に知られる様になった。

 しかし、古事記の原文を見ると、何故、その様な話である事が、解るのか、俺の学力では、到底解らない。

 何文字か毎、間が空いているが、段落ではない。

 これでは、1000年読めないで当たり前。と思う。

 解読が出来た時は、どんなにか感激しただろう。

 本居宣長とお父さん、賀茂真淵も、実に偉い人だ。

  

 凄い学力だ。

 2人共、芯の強い顔をしている。

 神主さんの祝詞を見ると、和漢混ざった文法で、文字も如何にも当て字の漢字が、見られる。

 但し、パターンが決まっているので、使える。

 俺の叔父さんは、国学院で国文学博士で教授だった。その後、日本大学に引き抜かれた人。

 その人曰く、 「戦前に、神主の資格を試験だけで取った人は、天才。」。

 何故なら、試験が、古事記の原文が読み書き出来、新規に祝詞を作成出来ないと、合格出来ないしろものだったから。

 読むのは、諳んじていれば出来るが、祝詞の作成は、本当に文法まで、解っていないと無理だから。

 合格者は、極まれだったらしい。

 かみさんの親父さんが、それだった。

 当時作った祝詞をベースに、3代続いて神主が出来ている。凄い話だ。

 何度か聞いた事があるが、オリギナリティーに富む祝詞。

 何故そんな試験問題にしていたかは、又明日。

 今日はここまで。