2月20日
昨日もかみさん、お稽古に朝から出掛けた。
人に足を踏まれると、1年4か月の努力がパーになるので、電車は朝早くか、昼以外は無理。
何時も、6時前後のに乗り、現地で時間調整している。
大変な努力だ。頭が唯々下がる。
梅まつりの添え釜で使った梅月棗は、8角形に削がれていて、中が真円でなく、8角の内側が少しずつ凹んでいる。
持っても普通の棗より軽いので、乾漆らしい。
箱には、「善山」とあるが、道具屋の名らしい。紙類も一切無し。
何処かで、道具屋が見付け、箱は仕立てたと考えるべきか。
知っている道具屋から購入した以外は、我家でも解らない。
8角の角と、角と角の間の凹み部が、其々黒と暗い影が、良い感じ。
オークションでは、箱無の扱いとなるから、我家でずうっと使って上げよう。
本歌の様に歌でも付けば、又違って来るだろうが、それは無し。
お茶の人達には、好評。
当日、遠州流の方の点前を見た。キレが良い。
江戸時代のお茶の、メインの流派。
江戸時代は、お侍はお茶が出来なければ、公式の席には居られない。
秀忠が正式の善は、茶事の形式とした為。
それまでの、バサラ大名の何十善もの善では、財政が成り立たないし、食う当事者が霹靂としてしまうから。
町方主体の千家のお茶は、元禄以降、町方が財を持つ様になってから、不白の頑張り等で、流行り出した。
お侍の8割の藩が、遠州か、石州の流れ。
お大名へは、千家が直伝した数藩から、徐々に広がった。
例えば、裏千家は、前田家→前田十四家の様。
今日はここまで。
