1月31日

 正月も今日でおしまい。早い。

 初釜は、準備が大変。

 懐石の道具だけでもこの数。

 手造り料理を、汁物と椀物に絞っても。

  

 右側に並ぶ盃は、干支の創作象形文字が書いてある。

 かんなべでお燗をして、盃を盃台に載せて出した。

 今年は、スムーズに出来た。

 燗鍋を、正客に預けて退席。

 盃は、以前毎年、塩月八重子さんが正月に、明治記念館で釜を掛けていたのに、先代やかみさんが行って、戴いて来たもの。

 TVに良く出てられていた。大宗匠のお姉さん。

 当時女性が、NHKのバラエティ番組に、俳優以外で出演するのは殆ど無く、華道安達式(当時は)の安達瞳子さんと2人が、良く出ておられた。

 女性が自立出来る仕事が、殆ど無かった時代。お稽古事の先生が辛うじて、死なない程度の収入が在ったので、NHKが出したと思う。

 その後徐々に、女性の地位が向上し、ウーマンリブと言われる時代になって行った。

 今思うと、この2人の女性が居なかったら、女性の地位向上は相当遅くなったろう。

 TVをみて、女性でも世の中に出て活躍出来ると思った、女性が多かったと思う。

 お2人は、良く畑違いの場に出て、頑張ったと思う。

 あっぱれ、でかした。

 昭和34年まで、日本は1夫多妻、赤線もOKな国だったのだから。

 赤線OKなら、慰安婦もOKの国だった。

 但し、軍関係は、駐屯地では規律が厳しく、帰還したお年寄りの話では、殆ど兵隊は行かなかったらしい。

 進出すると、現地で最初に現地人が用意するのが、赤線であったのは事実。

 但し、現地人が用意するのであって、軍は全くノータッチ。

 次の戦線への疲労回復には、食べ物と睡眠が一番は、今も同じ。

 ついさっきまで、戦場で腹ペコで寝ずに戦い、生死をさまよっていた人が、赤線に行くなど発想もしない。

 たらふく食って、酒飲んで寝るだけ。

 そんな余裕のある戦争など、日本は出来なかった。

 今日はここまで。