12月5日

 かみさんは、今日清澄庭園へ行って来た。足がもった。良かった。

 まだ足の甲の骨は繋がっていないが、歩くと良くなるとの医者の言葉を信じて、歩いている。

 骨が折れれば痛い。繫がりそうで繋がっていなければ、更に激痛が走っているはず。頭が下がる。

 無理は禁物とは話している。

 先だってのお茶会の疲れも残っているはず。

 清澄庭園は、戦前は三菱の迎賓館だった。

 震災と戦災2度、周辺住民を救った。

 近所の陸軍の駐屯所は、2度も都内随一の死者が出た所となった。

 同じ様な広さの広場で何故か。

 コンクリートの建物に周りを囲まれた陸軍駐屯地は、火災の避難所として、震災後再整備したが駄目だった。

 一帯が火災になるので、酸素欠乏になる。

 木々や池が在ると、延焼も止まり、酸欠にもならない。

 これは江戸時代には、多くの人が知っていた。火事は森へ逃げろ。

 街中では、神社や寺院がその役目を担った。

 幕府は、天守炎上後直ぐ、大名の屋敷を江戸市中に分散し、池と木々を植え庭を整備させた。

 何本もの街道を広小路にし、街路樹も植えた。

 今の東京は、戦前と同じ方法の防火対策。

 官庁や役所の仕事は、変えないのを良しとしているから。

 更に、学会も従来路線が平穏無事。

 震災時は消防車が動けないから、阪神淡路大震災同様、朝数か所の煙が立てば、夕方には半分は焼ける。危ない。

 今日はここまで。