8月7日
お茶会に使った。住吉蒔絵の棗の住吉大社は、平家の宋貿易船の無事を祈願する神社。
この宋貿易が在ったから、天目茶碗郡も抹茶も日本に来た。
瀬戸内海の海賊を束ね、九州、四国、中国に根を張った平家は、都の政治をコントロールする上で、MUSTな歌舞、音曲等あらゆる文化的素養を身に着け、貴族社会を凌駕して行った。
この点が源氏との違い。
従来からの物事の決定手順そのままに、武士の世の中を作った。
同じパターンが、400年後の豊臣と徳川である。
しかし、貴族社会の怖さは、尋常ではない。
頼朝も家康も、それを知っていたから慎重の上にも慎重に距離を取る事で、影響力を最小にした。
この家康の距離取作戦の中心人物が、小堀遠州。
今日はここまで
