7月25日
東センターの茶会で住吉蒔絵の棗を使った。左の柄杓の右側。
住吉大社は、平家の清盛が開いた神社。
7月末には毎年お神輿を海に入れる大祭が在るので使った。
お茶の方達に、お茶と清盛の関係を話した。
平家は瀬戸内海の海賊を束ね、宋貿易を積極的に行った。
宋で抹茶が飲まれ、栄西や明恵が持ち帰り、日本に普及させた。
清盛が居なければ、宋の文化が日本に入り、残る事も無かった。
中国の歴史は、漢民族の国とそれを潰して入る異民族の抗争の歴史。
唐時代(漢民族)は団茶の文化。
それが北魏に潰され、次の漢民族の国家が宋で抹茶に進化。
再度元に潰され、その次の漢民族国家が明で、抹茶は消、南(インド、東南アジア)から煎茶が入った。
次に明を潰し清となるが、初めて漢人文化を模倣し明擬きで煎茶が残った。
漢人の国民党が清を倒し、それを追い出して中共と成り今に続いている。
よって、抹茶は、日本にだけ残った希少文化。
抹茶同様に日本に避難し残ったのが、天目茶碗郡とその作法。
東山でスマートにまとめた作法が、裏千家なら十段の点前となる。
今日はここまで。
