5月27日
葉蓋手前に使った梶の葉だが、紙の代わりに使っていた。
竹を叩いた筆で書いていた頃の話。
学校で習う紙の代用は、木簡。
この木簡に、日本最古のお茶の束の記載があると本にあった。
お茶は、山火事でも残るほど強く。
又、焼き畑での栽培が、戦前には原産地の中国四川省に在った。
食べ物なので何時日本に入ったかは不明とされるが、最近の歴史学者の記載のみを証拠とする風潮の結果、「お茶の歴史」では、下記の順。
最澄、空海の種の持ち帰り。
嵯峨天皇の茶飲みの話。
栄西の苗の持ち帰りと普及。
明恵の茶の栽培。
前記の話は、無視となっている。
しかし、九州の古い住居跡にから種が出土しているので、鳥や人の往来で自然と入っていたと、考えるのが妥当。
木簡に「茶」と書いてないので、「お茶の歴史」から外したのか。
又は、茶道の発展の順を、八頭茶会⇒義政のお伽衆⇒珠光⇒紹鴎⇒利休としたいが為かは不明。
確実性を取って、はっきり記載のあるものに絞った結果と、淡交社は言うとおもうが、南方録の二の前になりそうな気もする。
かみさんは、お茶教室の生徒さんを募集している。
連絡先は、048-487-5098 舟橋宗美。
教室は3か所。
①朝霞市自宅。朝霞台から北へ徒歩で23分。車OK。
②東小金井から南東へ徒歩5分。
③新小金井から南へ徒歩3分、小金井市東センター東舟会。
葉蓋手前に使った梶の葉だが、紙の代わりに使っていた。
竹を叩いた筆で書いていた頃の話。
学校で習う紙の代用は、木簡。
この木簡に、日本最古のお茶の束の記載があると本にあった。
お茶は、山火事でも残るほど強く。
又、焼き畑での栽培が、戦前には原産地の中国四川省に在った。
食べ物なので何時日本に入ったかは不明とされるが、最近の歴史学者の記載のみを証拠とする風潮の結果、「お茶の歴史」では、下記の順。
最澄、空海の種の持ち帰り。
嵯峨天皇の茶飲みの話。
栄西の苗の持ち帰りと普及。
明恵の茶の栽培。
前記の話は、無視となっている。
しかし、九州の古い住居跡にから種が出土しているので、鳥や人の往来で自然と入っていたと、考えるのが妥当。
木簡に「茶」と書いてないので、「お茶の歴史」から外したのか。
又は、茶道の発展の順を、八頭茶会⇒義政のお伽衆⇒珠光⇒紹鴎⇒利休としたいが為かは不明。
確実性を取って、はっきり記載のあるものに絞った結果と、淡交社は言うとおもうが、南方録の二の前になりそうな気もする。
かみさんは、お茶教室の生徒さんを募集している。
連絡先は、048-487-5098 舟橋宗美。
教室は3か所。
①朝霞市自宅。朝霞台から北へ徒歩で23分。車OK。
②東小金井から南東へ徒歩5分。
③新小金井から南へ徒歩3分、小金井市東センター東舟会。