6月23日

 かみさんは、茶事の正客として出掛けた。

 色々練習して出掛けた。

 茶事は江戸の初期に、大名の接待膳は、茶事形式でと、2代将軍が法度を決め、幕府終了まで解けなかった。

 その為、各藩は国を上げて研究した。

 秀忠の意図は、各藩の接待膳に閉口しての法度だが、外様大名の生き残りを掛けた接待膳が、茶事形式のシンプルな膳で、同様の効果を出さねばならないのだから、食事方は命掛けの膳に成った。

 お国自慢、流行、当然相手の好みを全て織り込んだのが、茶事の料理を最高の料理にしたのだ。

 江戸時代、侍は3人/100人の割合で、一般人は当然羨望の的の存在で、これが侍の習いならと、民も茶事料理がどんなものかと、思うのが普通で当然真似る。

 江戸市中で評判の料理へと進化して行き、それを改良する大名側との相乗効果で、更に進化した。

 かみさんは、この茶事料理を習い、それを毎朝早起きして、俺の弁当を作ってくれるので、俺は、毎日料亭に行っている様で実に有難い。足を向けては寝られない。ありがたやありがたや。

 今日はここまで。