9月6日

 今日からかみさんは、東小金井お茶教室でお稽古を付けている。

 先日子供達が金婚式の祝いで、旅行券をくれたので、長年の夢だった柳川のお花に行って来た。

 次男が俺の運転を心配して付いて来てくれたので、運転手付き実に豪勢な旅が出来た。有難い事だ。

 柳川のお堀巡も、昔ながら情緒が残るのが、お花の周りだけの様だった。

 立花宗茂や奥さんの誾千代のお墓参りも出来た。

 宗茂が無敗だった理由は、下記

 1,当時最強武器の火縄銃で、玉と火薬をミニ筒に詰め、多数を持たせ、一気に玉込を済ませ次の射撃が出来たので、鉄砲と兵の数が2倍、3倍の効果と出来た。

 2,同時に火縄銃の最大の欠点、射撃と射撃の間の相手の突入を防止した。

 3,各隊の長に金の兜を着させ、実際の戦況が解り、宗茂は最適采配が出来た。お花の廊下に並べて飾ってあるのを見てびっくりした。

 4,日頃から部下の面倒見が良く、関ヶ原後の浪人時の話の様に、宗茂軍は互いのカバリング、統率の取れた軍にしていた。

 佐賀城跡にも行って、何故鍋島閑叟は幕末最強鍋島藩を創れたか。

 1、長崎の管理をしていたので、多数の蘭学、英語、中国語の知識、情報が在り、勉強した。藩主も真剣に国防を考え行動し、全てを自前で出来る様に、我慢強く導いたから。

 2,赤絵を始めとした磁器輸出で資金が在った。立花家同様有明海への扇状湿地帯を、水抜き溝堀で田圃化し、潮の干満と水車での海への放水で、水害を防ぎ、煙草、ミカン等高収入野菜で、借金藩ではなかった。

 3,反射炉、大砲鋳造、砂鉄鋼。扇状地下堆積物由来泥炭→石炭が造れた。

 4,水車利用、砲身下穴リーマ抜き加工、ライフルリーマ通し加工、1/4ネジ砲後端加工の同時、同場所加工機を造って、上野彰義隊への東大からの砲撃,会津城天守への砲撃、函館五稜郭への砲撃で、官軍を勝利に導いた、カノン砲部隊を作った。

 5,それらを日本最初の自前蒸気船で輸送し、官軍の近代戦争の立役者となった。

 俺にとっては、実に楽しい旅行だった。

 宇佐神宮にも行った。

 炉開きの猪子餅の起源となった、三韓征伐をした神功皇后様が祀られる神宮。八幡様の総本宮。

 今日はここまで。