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(抜粋)

 

神という概念は、

「神は素晴らしい力を持っている。人類にはできないことができる」

そう思えば神を崇めるようになります。

神は素晴らしいと思えば、人類は神を畏怖し従順になります。

力のない人間を生かしてくださる神。

神がいなければ生きていけないと思わせる。

それが宗教なのです。

 

少し前までは、宗教だけで支配していました。

神の教えと称して思考を操作してきたのです。

それが少し難しくなってきたので、宗教的な考えとともに今はお金と科学も加わって、より複雑になってきています。

 

この3つの中に大きな矛盾を創っているのです。

その矛盾によってどう思考していいかわからなくなってしまい、考えることを止めてしまうのです。

 

 

 

まず宗教によって清貧という考えを教え込まれます。

富を得ようとすると精神性が低くなる。

だから、富を得ようとするのではなく、人のために生きなさい。

人を生かすことで自分も生きることができるのです。

だから自分のことよりも人のことを優先しなさいと、

自己犠牲を素晴らしいものだと思わせるのです。

 

人のために生きなさいと言っておけば、より働くようになるからです。

神は人を大切にし自分の身を投げ出すことを望んでいます。

そして、神の下僕として神の教えを守り、人のために尽くす人生を生きたものは死後、天国、極楽浄土という素晴らしい世界に行くことができると教えます。

そうすれば少々苦しいことが起きても、これは精神性を高めるための試練を神が与えてくれたと思い、それに甘んじることを選びます。

酷い環境でも喜んで受け入れるようになるのです。

とても支配しやすくなり、どんどん労働させることができます。

 

 

〜宗教とお金と科学の矛盾〜

 

宗教では清貧の精神を教えています。

清く貧しく美しく生きなさい、それには自分の欲望を優先してはいけない、人のために生きるのですと。

そう言いながらお金を欲しがるように思考の操作をするのです。

テレビなどで、

お金があればこんなに素晴らしい生活ができますよ、とセレブと言われる人の生活をどんどん見せるのです。

お金のある人を羨むように、そんな生活をしたいと思わせるようにしながら、一方では精神性を高めなさいと言います。(矛盾)

 

人はその矛盾を抱え、どうしたらいいのか分からなくなります。

思考することが現実になるのです。

お金が欲しい、でも欲しがってはいけないという矛盾の中で、お金に対してどうしていいか分からないので、お金が手に入らないということになります。

 

 

科学と宗教も同じような構造になっています。

科学では目に見えないものは否定されます。

科学的な証明、エビデンスがないものは眉唾物として排除されます。

 

でも、宗教は目に見えない存在を讃えているのです。

神という全く科学では証明できない存在を認めているのです。

これは大きな矛盾です。

 

科学者でも神を信じ、神のご加護があるから人類は生存できていると言っています。

目に見えないものはない、科学では証明されたものだけが真実。

でも科学で証明できない神はいます。(矛盾)

 

科学教。

科学で何でもできる、できないことはないと思ってしまうと、宇宙のことは何もわかりません。

分からないように思考操作されているのです。

科学的に証明できないことを話す人は信用されません。

誰も相手にしてくれません、嘲笑されますという風潮を作り出して、真実を知ろうとしないようにしているのです。

 

 

《科学の実験の話》

科学の実験で証明されたものは、証明するために実験データを集めたものなのです。

最初にこの結果が出るよに実験しましょうとするのです。

結果ありきということです。

こういう数字が出ます、こういう結果が出ますと決めて実験すると、決めた結果に近い数字が出るようになるのです。

思考によって結果は変わるのです。

この数字を出したいと思考すれば、その数字に近づきます。

実験する人によって結果が変わるのはこのためです。

科学で真実を証明できるならば、結果は一つになるはずです。

真実は一つなのですから。

でも実験者によって結果が違ってくるので、平均値というものを使うのです。

平均値が正解であり真実としているのです。

これは、真実が分からないと言っているのと同じです。

科学では証明できないものはない、科学が全てですと言いながら、実験の結果がいくつもあるのはおかしいのです。

平均値を設けなければいけないなどというのは、真実ではないからです。

実験という制度もおかしいのです。

いくら実験をしても思考エネルギーで変わるからです。

〇〇派、〇〇派といくつも派閥ができることも真実が分かっていないということなのです。

科学は偉大で何でも分かっているという話はおかしいのです。

あなた達の科学では真実にはたどり着けません。

科学は万能としながらも、真実は分からないという矛盾を持たされて人々は混乱します。

 

こうして人々は宗教とお金と科学の3つの大きな矛盾を持たされて思考操作をされているのです。

 

 

 

 

宗教はあまり日本人にはなじみがないように感じるが、

新興宗教はけっこう入っている人がいるのではないだろうか。

 

私の母もエホバの証人や幸福の科学など新興宗教に加入していた(る)。

この間、大川隆法氏が死去されたが母にそのことを伝えたら

「私はこの方の生き方を学びました」と感謝をしているようでした。

あまり深くは関わってはいないようですが・・・

 

支配、マインドコントロール、自己犠牲、恐怖で支配、自分よりも他人を優先・・・

こんなワードが思い浮かんでくる新興宗教。

 

宗教に入るのも自由だし、入らないのも自由だし、入った後にやめても自由。

入ったらやめるのが大変な新興宗教はまさに人を支配するためのものだと思う。