ちょっと変わった妹の話

ちょっと変わった妹の話

障害者ってかわいそう!とか思ってませんか?
見かけはハデだけど、案外ふつー。
明るく楽しく生きている脳性麻痺もちの妹・U子を紹介します。

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手も足も。

目も舌も。

U子の体はワガママで、なかなか本人の思い通りには動いてくれない。

だが、タフな機能を誇るパーツもいくつかある。

「歯」と「喉」、そして「耳」だ。

ここだけは丈夫。

ものすごく丈夫。

ライオンなみに丈夫。

もしかしたら、ここだけ不死身かもしれない。

今日はそのうち「歯」について話そうと思う。


最初からそうではなかった。

学校には上がれないでしょうと言われていた時代、

消えかけのロウソクみたいな弱々しい赤ん坊時代には、

U子は呼吸も満足にできなかった。

もちろんお乳も飲めなかった。


・・・それがまさか、ステーキ肉を食いちぎるまでに成長するとは。


 「頑張って訓練したんだから!」

母は自慢気だ。

 「放っておくとね、すぐに胸がぺったんこになるのよ」

自分では、息があんまりできなかったから。

呼吸をする訓練。

お乳をのむ訓練。

 「頬の内側やら歯茎のマッサージをいっぱいしたの!」

やがて歯が生えてきても、もちろん噛む力なんてなかったから

 「カミカミの練習をいっぱいしたの!

  そしたら何でも食べられるようになってね。

  カミカミが大好きになっちゃった」

汗と涙の訓練が身を結び、

今では同じような障害をもつ人たちがびっくりするほど強靭な歯と顎をもつ、U子。

今では飴玉でも、ロックのアイスでも、がりがりと齧る。

歯が欠けるんじゃんないかとたまに思うが、今のところ大丈夫。


「それはよかったね」と、思うでしょ?

ところが、そうでもない。


歯を鍛えるために、「固いものほど美味しい」という間違った認識を植えつけられた。

そのせいで逆に、ゼリーとかヨーグルととか柔らかい甘い食べものが大嫌いになってしまったのだ。

プリンのように、世で一番おいしいと思われるものすら拒否る。

大馬鹿者である。

毎日の粉薬だってオブラートに包めばするりと飲めてしまうはずなのに

 「キモチワルイ!」

と言って拒否る。

このあいだ無理にオブラートを飲ませたら噛み破ってしまった。

口のなか、粉だらけ。

うえ~苦そう!


カミカミは上手になったけど。

上手になりすぎてしまって困るU子なのである。

  「残念ながら、小学校まで生き延びることはできないでしょう」

なんていう医者の不吉な予言をものともせずに。

U子は無事に6才をむかえた。

小学校へあがる年だ。


問題は、どこの小学校へ通うのか、ということだった。

家のすぐそばに小学校があった。

「S小学校」だ。

ここにはいわゆる普通学級しかない。

養護学級へ通うなら、「M小学校」になる。これはだいぶ遠い。


母は近所のS小への入学を希望した。

なにしろ近いし。

姉のR子も通っている。

 「障害があっても特別扱いせずに、ほかの子といっしょに学んだり遊ばせたりしたい」

とよく言っていた。


けれど周りはそれを許さなかった。

S小には車椅子に対する施設が何もない。

知識のある先生もいない。

何かあったら大変だ。

言葉にこそ出さないが「迷惑だ」というわけ。

S小の先生が、何度も何度も家に来て母を説得していた。

母はそのたびにプンプン怒っていた。


結局、母は折れて、U子はM小の養護学級に通うことになった。

毎朝、送迎バスがむかえにきた。


結果的にはM小への入学は大正解だった。

後になってわかったことだが、

 「障害のある子もない子もいっしょに学ばせる」

という考えはたいへん美しいけれども現実的ではない。

黒板をまともに見ることもできず、鉛筆を持つこともできず、知的障害もあるU子が、健常児と同じ教室で足し算や漢字の授業をうけたって何にもならないからだ。

勉強をしている気分は味わえるかもしれないし、平等で公平でウツクシイ光景かもしれないけれども、それは大人たちの自己満足でしかない。

何にもU子のためにならない。

算数や漢字よりも、もっとU子に必用なこと・・・腕の動かしかたや膝の伸ばし方といった訓練や、絵本の読み聞かせ、物の名前やそれを表現するための口の動かし方を教えることのほうが必用なのだ。

M小学校の養護学級はそれをやってくれた。

すばらしい先生に何人もめぐり会わせてくれて、同じような障害をもつ友達もできた。

人と人とのつながりは、ハンディをもつ子にとって宝ともいえる絆だ。

小学校へあがることで、U子の世界は一気に広がった。

我が子が障害児だと聞かされても、うちの親はヨヨと泣き崩れたりしなかった。

少なくとも本人はそう言っている。

不死鳥の如く死の淵から蘇った子だ。

最初のうちは

 「生きてるだけで丸儲け」

と有難く受け止めていたらしい。

だが冷静になって考えてみると

 「泣き崩れてるヒマなんてない!」

すでに娘が2人いる。

3人目にややこしいのが生まれたんで、さあ大変だ!というところか。


U子は生まれてまもなく脳細胞の大部分が死んでしまったが、全滅はしなかった。

ほんの少し残った部分をうまく使いこなせば、死んだ部分のかわりができる。

そのためには

 ・脳に刺激を与えてやること。

 ・身体を動かして訓練すること。

が大事だという。

それでも医者には

 「残念ながら小学校に上がることはできないでしょう」

と言われていた。


母は考えた。

 「長生きできないかもしれないけど、せっかく生まれてきたんだから。

  思い切り楽しく過ごさせてあげたいじゃない?

  それにほら、脳に刺激を与えることにもなるし」

で。

 「遊びにいこうー!」

となったらしい。

母はどんどんU子を外出させた。

どこにでも連れていった。

楽しみのためならちょっとくらいは無理をさせた。


あれは動物園に行ったときだ。

母と姉たちが動物に夢中になって

 「ほら!ほら!」

 「かわいい!」

と声をあげていると、通りがかりのひとに

 「ベビーカーがコケてますよ」

と指摘をされてしまった。

母は子供といっしょになって動物園を満喫するあまり、U子をのせたベビーカー(バギーだったかも)がコケて横倒しになっているのに気づかなかったのだ。

U子はとくにケガもなく、おとなしく転がっていたので、母は教えてくれたひとに

 「ああ、大丈夫です」

と答えたらしい。

R子は幼心にびっくりしたらしい。

 「ほんとうに大丈夫なのか?

  それでいいのか、母!」


大丈夫だった。

それでよかった。


体が弱いとか障害があるとか発作がでるとか、

 「そんなこと言ってられないわよ!アハハ!」

能天気な母に無視されているうち、U子はだんだん強くなった。

そして医者の予言をくつがえして小学校にあがった。

それどころか成人式をも通りこし。

ただいま28才。

絶好調で生きてます。

U子は三姉妹の末っ子として生まれてきた。

長女の私が7才。

次女のR子が5才。

もう一人妹が生まれたときは、そりゃあ嬉しかった。

初めて赤ちゃんに会いにいくときも、そりゃあ楽しみにしていた。


赤ちゃんは、可愛い。

赤ちゃんは、清らか。

赤ちゃんは、天使みたい。

そんなイメージを抱いていた。

天使みたいな妹を腕に抱くことを夢みていた。


だが父に連れられていった病院で、私達が目にしたものは・・・!


想像をはるかに超えたU子の姿であった。


透明な保育器の中。

おそろしく皺だらけの赤ん坊が眠っていた。

痩せこけて、骨と皮ばっかりだ。

赤い皮膚にはチューブが何本も突き刺さっている。

小さな体にびっくりするような太いチューブが刺さっているのだ。

数えてみると、その数はほかの保育器の子供の倍だった。

・・・宇宙人みたい。

これでも控えめな言葉を選んだつもりだった。

R子の感想は

 「お猿さんみたい」

だった。

この子も控えめな表現を選んだつもりだった。

母が痛ましい顔をした。

 「ちょっと、ねえ、かわいそうでしょう?」

うん、きもちわるいね。

とは、言えなかった。

いくら子供でもそのへんの空気は読んだ。

それで一所懸命に考えて、私はこう言った。

・・・でも、可愛いよ。

 「そう?可愛い?よかった」

と、母。


ものすごく衝撃を受けた私は、家に帰ってから、チューブだらけのU子の姿をいろえんぴつで絵に描いた。

 「わたしのいもうと。」


U子は、とてもせっかちだ。

外出するなると、他の人を放っておいても自分だけ先に出発しようとする。できないけど。

産まれるときも、よっぽど早く出てきたかったらしい。

妊娠8ヶ月に満たないうちに生まれてきた。


生まれてすぐは大丈夫だった。

さすがに体は小さいものの

 「わりとちゃんとした赤ん坊で、可愛かった」

と母は証言している。

ところがまもなく異変が起こった。

呼吸が止まったのだ。

お医者さんがそれに気づいて、「なんとかしてくれた」までに10分かかった。

その10分が運命の分かれ目。

人生のターニングポイント。

10分後には、U子はあんまりちゃんとした赤ん坊ではなくなっていた。


呼吸の止まった10分のあいだ、脳に酸素がいきわたらず、細胞が死んでしまったのだ。

 「写真(CT?)に撮ったら死んだ部分が真っ黒に写るの。

  U子の脳みそ、ほとんど真っ黒なのよー!」

脳は人間のすべてを司る。

運動するのも。

考えるのも。

命令を下すのは、すべて脳だ。

その8割~9割が死滅した。

写真を見せながら病院の先生は言った。

 「この先、お子さんは身体にも知能にも思いハンディをかかえることになるでしょう」

これを脳性麻痺と呼ぶ。


我が子に障害があると聞かされた親は、現実を認められずとりみだしたり、嘆いたり、神を恨んだり、するそうだ。

しかしうちの母は、U子の母だけあって、やっぱりちょっと変わっていた。

 「生きてるだけでラッキー!」

と思ったそうだ。

まあ、ほとんど死んでたみたいなもんだから。

生きててよかった。

それだけで嬉しい。

そう思ったんだそうだ。