最近教育について考える機会があった。自分自身、ちゃんと人に教えるという経験をしたのは案外少ない。覚えているのは、大学時代のバイトでの塾講師や家庭教師、大学院時代に後輩に病理診断の手ほどきをしたり、米国留学時代に技術員に実験を教えたりしたぐらいか。今まで大学機関などで仕事した期間が比較的短かかったからかもしれない。好き嫌いで言えば、人を教育することは好きな方かもしれない。その人が理解し、できるようになり、そして喜ぶ姿を見るのが好きだからかもしれない。今は研究者として働いているが、私が臨床が好きな理由もひとえに、患者が病気から立ち直り、笑顔が見たいからに過ぎない。
ラボの中に、指導的な立場にある人がもう一人いる。彼の指導法は、最初に説明だけし、後は放ったらかし。ただし、その人が何度失敗しても説明するだけで、その後も一緒に実験することはない。自分の指導法はいつもつききっりで一緒に実験して見せるというスタイルなので、彼の指導法とは好対照だ。そんな彼が指導していた若い技術員が失敗ばかりするという理由で、解雇された。正確には彼が独断で解雇したわけではないが、彼がボスに進言したので、そうなった。私から見れば、その技術員は経歴も立派だったし、成績も優秀だったのに、なぜという感じだった。別の件でその指導者と話す機会があって、彼は自分が任された交渉が失敗した事を、相手方の悪口ばかりたたいて、むしろ自分はよくやったと話していた。責任逃れに終止していた。若い技術員の解雇の件も、実験の失敗は本来は指導者が責任を取るべきなのに、その人に責任をなすり付けて解雇にしたのだろう。要するに、彼は自分で責任を取るという覚悟は元々持たないのだろう。
教育とは何か?簡単には答えられないが、一つにはその人の幸せを一緒に探してあげることかなと私は思う。そして教育者または指導者とは、その責任を持つ人。先日の飲み会で、ある年配の人が、自分の失敗を棚に上げて人のせいにする人というのは、人生で大きな失敗をした経験がないか、うまくやり過ごして来た人だと言っていた。自分が失敗した時は、それを認め、謝罪する。人として当たり前の事だと思っていたが、最近はそうでもないのかもしれない。