3.11。


あれから12年。


当時、私は野党自民党の衆議院議員で、党の副幹事長でした。


東日本大震災が起きて、即座に自民党本部に対策本部が設けられ、私は物資担当の責任者になりました。


全国の都道府県連から水、お米、医療品、衣服他、実にたくさんのものが集まりました。


なかでも、3月だったゆえ、卒業式と入学式を控えていましたが、すべてが津波にのみ込まれてしまいました。


そこで、全国からランドセルを募りました。


500を超えるランドセルが届きました。


それを被災地に届けました。



写真は当時、地元が津波にのみ込まれてたいへんな惨状のなか、不眠不休で復旧にあたられていた小野寺五典元防衛大臣。


そして、あれから毎年、ご本人からメッセージをいただきます。

それは卒業式も入学式も出れずに津波に流されてしまった小さな命への鎮魂の想いと受け止めています。

また、当時、陸前高田市の被災地に物資を届けた際には、長い行列ができていて、水や食料を受け取るものと思いきや、死亡届を書く列だったことも鮮烈におぼえています。

南三陸町の庁舎で最後まで町民を救うために防災無線でみんなを避難させて、最後、自らの命は津波に流されてしまった町職員の遠藤みくさんのことも忘れられません。




3.11、すべてを風化させてはなりません。