街を歩くと、今でも「なぜ国会議員を辞めたの?」と聴かれることがあります。


大臣を辞めるに至ったのは、秘書が通夜で香典を出したことが報じられたのが決定打でした。


その後、いろいろ調べてもらい、9割以上が私本人が通夜、告別式に行っていたことがわかり、この件はお咎めなしとなりました。



地方の選挙区の国会議員は、永田町から遠い選挙区だと、平日の大半が行けずに代理で行くこともあると聞きました。 


葬儀は、本人が香典を出すのは合法だが、奥さんでも、秘書でも代理が出すのは🆖。



その後、お祭や盆踊り、顧問をつとめる団体等のイベントに会費を出したことが🆖で、お咎めを受けることになりました。


会場に行くと、お弁当やおみやげをもらいます。



ビールやフランクフルトややきそばを出されます。



お祭だと、私の同好会が10人いれば、休憩所ごとにビールやお酒、おつまみを出されます。


対価としての会費は普通だと思ってました。



その時、他の人も出してるのになぜ私だけ?とあまりにも理不尽で、裁判を起こそうとも考えました。



ところが、弁護士に相談したところ、もし最高裁までいけば、最長で10年の年月がかかるかもしれないと。


しかも、自分だけならまだしも、自分以外の会費を出していた誰かに迷惑をかけることになる、それは避けるべきとハラを決めました。


考えに考え抜いて、罰金を支払うことにしました。


まわりからは、お金をもらったわけでもなく、誰かに配ったわけでなく、なんで?と言われました。


しかし、そこは自身の判断です。


そして、公職にあったゆえに、公民権が3年間停止となりました。


同時に、自ら議員辞職を致しました。


あれから、1年9ヶ月が経ちました。


来年6月には再挑戦が可能となります。


今は、神様が与えてくれた3年間と肝に銘じ、日々、努力しています。


それゆえ、始発から駅に立つのです。


乾坤一擲の闘いです。


皆様の倍旧のお力添えをお願い致します。