朝7:30の新幹線で福島へ。


東京駅のいつもの弁当売り場は時間が早いのか、ほとんどまだ未入荷だったが、幕の内弁当を購入。


そして、郡山から福島第一原発へ。


構内をみるのは、実に経産副大臣以来6年ぶり。




あの事故以来、丸8年半、廃炉に向けて懸命の作業が続けられている。


一号機、二号機、三号機、四号機と廃炉を決め、湧き出る地下水との融合で汚染度が高まるのを凍土壁をつくり、いかに水が発生しないようにするか、6年の間、変わった。


そして、体を張って頑張っていらっしゃる作業員の皆さんに心から激励申し上げた。


その後、大熊町と双葉町の町長と面談。


ともに原発事故により、一番被害をうけた町である。


私は3.11から約10日経った頃、自らトラックを運転して福島へ、そして宮城、岩手へ向かった。


自民党は当時野党だったが、本部に全国から集めた物資を被災地に運ぶ責任者をつとめていた。


そして、福島は多くが立ち入り禁止区域になりつつあったが、とりわけ福島第一原発の立地自治体である大熊町と双葉町は今日まで大変なご労苦をおかけしていることをお詫びした。

大熊町の渡辺町長はたいへんに地元の人望の厚い方で、8年半経ってようやく90名を超える方が避難指定を解除され、町に戻ってこられている。


そして、復興にむけて歩みを始めた。

双葉町の伊澤町長からは、双葉駅前で特別復興計画をうかがった。


除染が進み、全町民が今もって避難している同町にも帰還環境が整いつつある。


しかも、産業団地の計画もあり、まさにこれから復興への確実な道を歩み始めている。


伊澤町長が自ら手に持っておられた線量の計測器をみると、駅周辺は0.17マイクロシーベルトであり、民家を解体し、除染を進めていけば帰還できる。


そして、大切なことは、福一の安全で確実な廃炉を進めることだ。


命を守る政治を進めていく。