8月15日、終戦の日。


戦後74年の月日が経ち、今年も日本武道館にて全国戦没者追悼式典が行われた。


天皇陛下からのお言葉には深い反省に立ち、二度と戦争の惨禍が繰り返されないよう平和への思いが語られた。


日清、日露戦争、第一次世界大戦と日本が参戦した戦争で日本は勝ち続けてきた。


しかし、第二次世界大戦では米国の原子力爆弾という禁じ手によって広島、長崎が被爆し、8月15日を迎えた。


戦争の惨禍を再び繰り返してはならない、との天皇陛下のお言葉は重い。


その解釈は様々あろう。


戦後74年間、一度も日本という国が戦争に巻き込まれることなく、平和と豊かさを享受してきたのは、戦後の象徴としての天皇制と日米安保と日本国民の類い稀な努力の積み重ねゆえである。


そして、現下の幸せをかみしめるとともに戦争によって失われた数万の御霊に哀悼の意を表するものである。


何の罪もない日本の地で被爆した方々の思い。


知覧の特攻隊員の思い。


遡ること沖縄戦で戦禍に巻き込まれた方々の痛恨の思い。


どれもが、当時の今日的状況のなかで必死に生き抜こうとしたが若くして、幼少にして命を落とすこととなった御霊に合掌するのみである。


戦禍は二度と繰り返してはならない。


一方で、戦後まもなく、米GHQの占領下、二度と強い軍隊を日本に持たせてはなるまいとGHQによって原型がつくられた日本国憲法。


9条一項の不戦の誓い、平和主義は令和の時代も変わることない。


しかし、戦後74年間の日本の平和を一貫して守り抜いてきた自衛隊の存在そのものが憲法に記されていないことは、どうなのか?その議論さえしないことはどうなのか?


アジアやロシア、中東と世界情勢の変化はめまぐるしく、今ほど一触即発の時はない。


現下の憲法と平和安保法制、日米同盟によって今の日本の安全保障が成り立っている。


イラクやゴラン高原、海賊発生地域における平和活動や復興支援に体を張って出て行ってくれたのは、自衛官である。


大災害や自然災害が起きれば、真っ先にこの身を投げ打って現場に駆けつけてくれたのは自衛官である。


日本という国を守り、世界平和の達成のための自衛隊。


9条三項を設け、自衛隊の存在そのものを明記することは至極当然のこととして議論されるべきである。


参議院では3分の2に足りない。


とすれば、野党は改正反対の論陣を外で張っても国会で議論さえしないことは通らない。


反対なら反対と野党は論陣を張れば良いのではないか。


与党としては、3分の2を形成するための努力を重ねる時である。


終戦の日、あらためて戦争について、平和について、憲法について、自衛隊について、考えてみた。