今日は国立劇場にて東日本大震災の記念式典が行われたが、どうしても被災地にいて祈りを捧げたいと朝の新幹線に飛び乗った。
北へ向かう新幹線の中からみえる風景は、緯度が上がるほど木々が早春の装いをしていた。
8年前の3.11の日、野党であったわれわれは即座に谷垣総裁のもと、東日本大震災対策本部を自民党本部に設置し、当時副幹事長であった立場から、物資の収集と搬送の責任者となった。
対策本部に置かれたテレビからは津波が人も街もすべてのみ込む凄惨なシーンや福島第一原発の溶解炉が壊れ落ちる画像が繰り返し流され、東京にいても立ってもいられなくなり、現地に向かった。
物資を運ぶにも何が必要なのか、どこが一番物が届いてないのか、道路が陥没したなかどのルートで行けばたどり着けるのか、トラックはどうするのか、大量搬送の場合、トラック協会の支援を得れるのか、当時の民主党政権であらゆることが後手後手にまわるなか、夜を徹して協議を重ね、行動に移した。
あれから8年。
われわれは政権を奪還し、7年目に入るが、復興はまだ道半ばだ。
避難者がまだ1万5000人もいる。
3.11は、3月11日だけでなく、復興の道を力強く推し進めることだ。