池江璃花子選手の白血病公表をめぐり、桜田大臣のコメントが国会でも取り上げられている。
まずは、池江選手にはあらゆる手立てを尽くして完治してほしい。
ご本人がツィートしているように今はただただ焦らずに治療に専念してほしい。
まわりもその環境をつくるために本人への取材や過剰な報道なども控えるべきだ。
18歳にしてあれだけ精神的にタフな選手はいない。
自らのことをすべての病気と闘っている患者の勇気になればと発していることは心がふるえる。
まさに世界に誇れる日本人だ。
桜田大臣のコメントは前文を読めばなにを言いたかったのかわかるという考えの人もいれば、切り取られた部分だけを取り上げて強く批判する人など意見が分かれる。
総じて今回思ったのは、われわれ政治に携わる者は、言葉を大切に扱わなければならないということ。
綸言汗のごとしというが、どのような言葉であっても発したら二度と戻らないということ。
公人としてそこに常に細心の注意を払わなければならない宿命にあると思う。
もちろん、ためにする行き過ぎた言葉狩りや報道は日本の今後のためにも検証しなければならない。
しかし、言葉とは言の葉と書くように、葉っぱにはいろいろな成分があり、そこには育ってきた生成過程があり、その過程が瞬時に現れる性質のもの。
また、言葉は言霊とも言い、魂でもある。
それくらい厳格なものを求められる。
そこを留意しながら一つ一つを発する宿命にあるのが、政治家でもある。
われわれは常にこのテーマと対峙ながら日々を生きなければならない。
そして、バランス感覚を常に意識的に磨くことも求められる。
奥の深いなりわいである。