新大臣である柴山文科大臣が初会見で述べた「教育勅語を今風にアレンジしたかたちで、道徳等に仕える意味で一部普遍性がある」との発言が話題となっている。


教育勅語は戦前に当時の教育方針を定めたもので、検証的にみると、天皇が国民の生き方を説いたとの見解もあるが、柴山文科大臣が言及したなかで、「同胞を大切にする」という点でいえば、家族を大切にする、相手を思いやるといった点が今日の道徳教育に関しても議論すべきという意味で述べたのでは。


したがって、普遍性というワードが適切だったかどうかは議論は切り取られ方にもよる。


いずれにしても大臣の本意が明らかにされないまま報道やネット上の炎上が進むのはいただけない。


柴山大臣の発言を当方なりに解釈すれば、今日の日本において、日常的光景とも言えるほどの殺人事件や何の罪もない高齢者をターゲットにした振り込め詐欺が横行したり、一部スポーツ界で本来のスポーツの素晴らしさや意義を否定するような事案が頻発している事態に、日本人の本来の克己心や礼儀や人への優しさといった道徳心に立ち返るべきとの考えに基づくものではないだろうか。


戦前、天皇を中心として戦争に向かった当時の状況を今の日本において是とするといった趣旨を今から持ち込むなどの発想は皆無。


しかも、現在は教育基本法に基づいて教育が行われ、過去の歴史や流れについてもこの法のもとで論議が行われる自由が約束されている。


しかし、野党は早速、戦前回帰だといって手ぐすねを引いているようだが、菅官房長官は、会見で「政府として教育勅語を今の教育現場に持ち込む考えはない」と否定している。


いずれにしても議論は封印することなく、しっかりと質すべきは質していけばよい。


しかし、その真意を明らかにする前に、ワイドショー等で特異なモードや雰囲気だけが先に醸成されて一人歩きしてしまうことは懸念すべきこと。


早いほうがいい。