6年前の3.11の14:46。


私は国会そばの銀行のATMの前にいた。


外の車が起震車のように揺れている。


これはファンタジー映画の世界か?


そして、これが現実のことだと認識するのに数分要したような気がする。


そして、翌日、党本部に寄り東日本大地震対策本部を立ち上げ、不眠不休の日が始まった。


福島原発が津波にやられ、建屋が崩壊し、メルトダウンし、放射能汚染リスクが高まった。


当時、副幹事長であり、全国から物資を集め、被災地に運ぶ責任者を拝命。


被災地に何が必要か?


医療機関はどうなっているのか?

避難所は?


こうするうちにやはり現場をみようとトラックを自ら運転して仙台から松島、石巻、気仙沼、南三陸町、陸前高田とまわった。


人を救うのに、必死だった。


本当に眠らなかった。


米どころの宮城で米がないとの連絡で、当時参議院議員に当選した石井浩郎議員に依頼したら即支援者から10トントラックいっぱいの米が。


それを石巻の市役所に届けた。


ヘドロと化した町の市役所は避難所にもなっており、その物資を運んだわれわれを市長自らが出迎えてくれた。


そして、新学期を迎える時期でもあったゆえ、ランドセルを全国から募った。


すると、本当に涙がでるほどの数が集まった。


それを気仙沼に届けた。



桜の季節に何とか間に合った。


いろいろなことがめぐりめくるこの日だ。