甲斐バンドツアー&リリースのプロモーション3 | ボクの奥さん

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ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

さて、ようやく?本格的なプロモーションタイムが始まりそうな「軌道修正」を挟んで…
「まずですね、50周年ということで、色んなものが出て来たんですよね
私が昔、甲斐さんに出すために、取材させて頂いて、書いた文章のリストがあったんで
使えそうなヤツを持って来ましたんで…(笑)」と富沢さん

「…で『HERO』の時にですね、こんな風におっしゃったんですね
『今の日本のアーティストには、タフっぽいのっていないじゃない?
生きざまを熱く歌えるのは、俺たちしかいないんじゃない?

俺たちは、1年ほど前から…『今はどうあれ、それでも前に進まなければ
どうにもならないんじゃないか?』と思っていた
そのエッセンスが、1曲に凝縮されて、抽出したのが『HERO』だと思ってる…
(『うーん!』と甲斐さん)…ってなことをおっしゃってたんですが…?」と振られると

甲斐さんは「まあ、その…タフな人もいたとは思うんですけども
いかんせん、絶対数が少ないからね、ミュージシャンのね
まず、その…ニューミュージックも含めて、ロック…まっ、僕ら、ロックとか
…っていうことになってますけど、それ含めても、ナンか、絶対数少なかったもんね?」と返されてましたが

当時は「不確実性の時代」と呼ばれ、若者たちは「三無主義」で
「ニューファミリー」や「フィーリング」という、ふんわりしたワードが流行る中
どストレートに熱く、いわゆる「ナアナア」を嫌った発言や、こだわりを持った楽曲を発信する
…といったことは「理屈っぽい」との一言で片付けられたらしく(汗)

ツアーの合間のみならず、遠征先の会場でリハーサルを終えられたばかりの甲斐さんが
時間を割いて、相手にしっかりと伝わるよう、真摯に取材に応じられたにも関わらず
「生意気」だの「反逆児」だのと叩かれることも少なくなかったそうで(汗)
奥さんは「『甲斐さんらしい』っちゃ『らしい』んだけど…」と思いつつも
その記事をお書きになった方の名前を睨みつけていたんだとか…(苦笑)

ともあれ…富沢さんが「そうだね…それでですね『こんなことやるとはね』って話が出てんですけども…
『HERO』が、ベストテンのトップになった日
彼らは、アルバムのレコーディングで福岡のスタジオにいました
トップになったという知らせが入った時、レコーディングをいったん中止し
すぐにワインが取り寄せられ、乾杯が行われました

『屈辱のデビュー』から、4年余りの年月が流れていました
彼らは、不幸にも、ゲームの始まりに引いてしまったババをようやく捨て去り
エースに交換することが出来たのでした」…と読み上げられると
「それは、富沢さんが書いたんですよね?」と甲斐さん

富沢さんが「ハイ、俺が書いた…」と、お答えになるのへカブセて(笑)
「俺、『屈辱のデビュー』って、思ってないもん(笑)」と、おっしゃって
更に…「イヤ、普通…何かって言うとね…」という富沢さんの言葉を遮るように(苦笑)

「イヤ、僕、ナンでか?って言うと『デビュー作は当たらない方がいい』と思ってたわけ
デビュー作が当たると、ロクなことない…
たいてい、みんな、1発目で当たると、そのあと大変なことになってるじゃないですか?」
…と説明なさっているのへ、今度は富沢さんが

「なぜ、そう(いう文章に)なってるか?って言うと、アレですよね
デビューコンサートを神田共立講堂でやったじゃないですか?…(『ああー』と甲斐さん)
その時、私、もちろん観に行ってるんですけど
2千人のね…いっぱいになったわけ

ところが、チューリップがね、出て来て…(『そう、後半ね』)…うん、チューリップが出て来て
(『ああ、ありましたねぇ』)…チューリップ(の出番)が終わったらもう、みんな帰っちゃった…
(『まあ、でも、それはー、もう…』)…帰っちゃったんですよね

…で、その時に、これも取材してるんですけども…
『結果的に、甲斐バンドにとって、記念すべきデビューコンサートの現実というものを
否応なしにに知る薬となってしまった』
…ということで、甲斐さんは『本当に悔しかった!俺たちのコンサートだぜ!
俺たちは、たった100人でもいい、俺たち甲斐バンドを観に来てくれる客が欲しかったんだ!』…っていう

…と、当時のご自身の記事を読み上げておられましたが
「屈辱のデビューコンサート」に関して、富沢さんがお書きになった甲斐さんの言葉は
「俺たちにとっては、耐えられないくらい屈辱的なコンサートだったね」や
「泣けるものなら泣きたかったよ」といった言葉と共に
すべて、甲斐さんの著書「荒馬のように」に記されています(笑)

それはともかく…この富沢さんの説明に対して…
「まず、そのー、ベストテンの時に、ナンで福岡にいたかと言うと…
その…『ベストテン』と言っても、その『番組』じゃないからね?オリコン1位の時ね」と甲斐さん

富沢さんの「オリコンの1位の時?あの『(ザ・)ベストテン』じゃないんだ?」との言葉に
「『ベストテン』はね、1位なってないのよ
ナンでか?って言うと…まあ、これ、長くなるけど言う…どんどん言っていい?…(『うん、言って』と富沢さん)

まず、オリコンで1位なる時は、もうその4日か5日前に判んのよ
それで…『1位なるよー!』って言われて
『わっ!じゃ、大変だねぇ!』って言って、マスコミから逃げるために、福岡にわざわざ行って
アコースティックだったら出来る、レコーディングスタジオがあったんですよ
まっ、そこでやろうと…(『なるほど!』)

したら、ちょうどオリコンの前の日に…発売の前の日に、やっぱ『1位になった!』ってなったんで
みんなで、ワーッと乾杯して、スタジオで…
そのまんま、ムチャムチャでかいディスコへ行ったんですよ…ナンか、2千人くらい入るような…
…で、そこで、ツェッペリンやってるヤツがいて…バンドが…ムチャクチャ上手いのよ
それが、クリスタルキング…ではなかったかな?…(『ええーっ!?』)

あとでデビューして…マー坊(田中昌之さん)だっけ?
あの彼が、ロバート・プラントの…ボーカルの…やってたんですけど、ムチャうま…上手かったね
まさか、あんな『大都会』でね?『ツェッペリンじゃないのかよ!?』って思ったんですけど…(笑)

…と話されてましたが、当時の「里帰りレコーディング」についての記事には
「HERO」が1位になったという知らせを受けた皆さんは、乾杯のあと
「多夢」というライブハウスに行かれたらしく
そのステージで歌っておられる甲斐さんの写真が掲載されてます(笑)

そのディスコに行かれたというのは、以前に、長岡さんが、ご自身のラジオ番組で…
「新宿歌舞伎町のディスコで、私もバンドのマネージャーに連れられて行って
(『ストップ・イン・ザ・ネーム・オブ・ラヴ』という曲がかかると)
よく『ストップ!』って言って踊った記憶があります(笑)

甲斐バンドのキャンペーンで、初めて札幌行った…
そこでも、マネージャーに連れられて、ディスコで踊らされた記憶がありますよ
マネージャー、ディスコ好きだった…?(笑)」…と、おっしゃっていたし
おそらく?マネージャー氏主導で、そういう流れになられたのかなあと…?(笑)

それはさておき…「で、それで、デビューコンサートどーののことに関して言うと
まっ、これは…まっ、ホントはデビューじゃないんですけど(笑)…まっ、そういうのがあったんですよ
(『でも、記念コンサートって聞いた』と富沢さん)
(チューリップと)プロダクションが一緒だから、まあ、そういう仕込みがあって…

…で、まっ、でも、それ、しょうがないよね?ナンか、ねぇ?
もう、ナンか、財津(和夫)さんも『行くからさ』って、言ってくれてるし
『来なくていいよ』って、言えないもんね?だって…(『そら、そうだね』)…うん
…って、年齢的にも、キャリア的にも「上の人間には逆らえない」福岡県民ですもんね?(笑)

ともあれ…富沢さんが「この文章書いてる時は一応、取材して書いてんだ、俺もね」とおっしゃると
甲斐さんは「ああー、でももう、富沢さん、絶対3倍書くからね、そういう時…
(『ウソだ…ちょっと盛ったかな?(笑)』)
相撲取りの…ナンか、巡業の苦い歴史みたいな…ナンか、ウソ書くもんね、昔から…

でもさ、冗談じゃなくて、こういうの、あった方がいいんですよ、最初に…(『うん、うん』)
途中であると、そういうの、キツイじゃないですか?…(『そうだよね』)
苦いとか、そういうものは、最初の方にあったら
『あ、ナンだ、そういうもんなんだ』って、怒るより先にさ、学ぶっていうか…(『そうだよね』)

うーん...だから、1発目は、ほどほどに…で、基本的に2枚目で絶対売れたかったんですよ
…で、ドラムの松藤くんが、ウチのバンドに入って、ドラムやり始めた人なんで
時間稼がなきゃいけないじゃないですか?(笑)
だから、年間…もう、100本以上やってたんだけど、ツアー…(『ああ、ツアーをね』)

例えば、サテライトみたいなトコ、あるじゃないですか?
そういう所でも、楽器持ち込んで、生で無理矢理やらして貰ってたもんね、ナンか…
(この辺りで、バックが『HERO』から『バス通り』に変わり
どうやら、アルバムの収録順に流している模様)

神戸の地下に、サテライトあるんですよ、ムッチャ人が集まる…
…で、そこ、誰も生(演奏を)やったことないんで『やらして貰えません?』みたいな…
(『マネージャーに言って貰って…』)…そういう、ナンか、積み重ねをね
最初の方にやった方がいいけどね」と話し終えられたトコで「バス通り」のイントロが終わり
1コーラス目が終わった途端…富沢さんが「お送りしたのは、甲斐バンドで『バス通り』でした」とカットインなさっていました(苦笑)

甲斐バンドフリークの皆さまには有名な、この「神戸の地下のサテライトスタジオ」の話が
当時から、50年近く経っても、甲斐さんの印象に残っておられることを思うと
奥さんが遠い目をするのもムベなるかなと…(笑)