J-POP LEGEND FORUM(6/28)その5 | ボクの奥さん

ボクの奥さん

ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

「1986年3月にですね、突然、甲斐バンドの解散が発表されました」と田家さん
「3月14日から始まった、50本の最後のツアータイトルは『PARTY』
締めくくりはですね、武道館5日間でありました

その様子を収めたライブアルバム『THE 甲斐バンド FINAL CONCERT PARTY』から
お聴き頂いています」と「冷血」を流されながら
「この曲は、アルバム『ラブ・マイナス・ゼロ』の中に入ってたんですけども
トルーマン・カポーティというですね、作家が書いた小説に『冷血』という作品がありました

これは、実際の殺人事件を元にしたノンフィクション・ノベルというですね
ノンフィクション的な小説ということで話題になったんです
甲斐バンドのですね、ハードボイルド路線の代表的な曲がこれですね
そして、最後のツアーの見せどころの1曲でもありました」と説明なさってましたが

「ハードボイルドのスピリットを叩き込んだ」アルバム
「ラブ・マイナス・ゼロ」の歌詞カードには
「おれはおめえを愛しているよ、コーラ
だが愛は、その中に恐怖がはいりこむと、もう愛じゃあなくなるんだ それは憎しみなんだ」
…という、ジェームス・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」の中のセリフが記され

更に「冷血」の歌詞の前にだけ、ロバート・B・パーカーの「愛と名誉のために」から
「きみを信じることができれば、自分を信じることができる
しかし、きみなしでは…自分の人生の目標がなくなってしまう それが、愛と自慰の違いだ」
…という一節が引用されていて、この曲の重要性が窺えます

ともあれ…「解散のきっかけになったのはですね
ギターの大森信和さんの耳の不調だったんですね
ライブでも音が聞き分けられないくらいに悪化してしまったんで…」って
奥さんは「日常生活やライブに支障はないけど
レコーディング作業が難しいって言ってたような気がする」と申しておりましたが…?

「このままだとバンドに迷惑がかかるということで、大森さんが辞めたいという風に言って
甲斐さんは、大森さんと僕で始めたバンドだから
解散しようということで、1回ピリオドを打ちました」と田家さん

当時の記事には「甲斐よしひろのワンマンぶりに嫌気がさした」だの
「金銭的なトラブルがあった」だのと、まことしやかな「不仲説」が報じられ(苦笑)
甲斐さんは「サンスト」で、ご自身の口で事情をお告げになる際に
唯一「耳の不調」を報じた某紙について「よくぞ書いてくれた!」とおっしゃったらしい

甲斐さんは、海外ミュージシャンやプロデューサーの伝記などをお読みになって
「バンドが解散する原因は、金か女(笑)」と冗談交じりに口になさっていたそうですが
甲斐バンドは、デビュー時から歌唱印税は4等分と決めておられたみたいだし
好きな女性のタイプが似ていらしたか?は、さておき(笑)

「ワンマンぶり」に関しても、甲斐さんがリーダーであり、スポークスマンであり
メインのソングライター兼ボーカリストということで
周りが勝手にそういうイメージを持っていただけで
「実際は全然ワンマンじゃなかった!(笑)」んだとか…(笑)

ただ「最後まで解散に反対した」のが甲斐さんだったという点が
「メンバーと対立」「深い確執」とのワードに信憑性を与えたのかも知れませんけど(苦笑)
「BIG GIG」の3ヶ月後のインタビューで…
「仕事の上での人間関係の中でも、どちらがいいのか判別がつかなかったら
『続けよう』って、いつも言うわけ
僕の中には情にもろいところがすごくあるし…」と話されたり

その後「大森信和から『降りたい』と切り出された時に
リリースされたいって気持ちは痛いほど判ったけど、2度目までは引き止めた
3度目に言って来られたら、その時は腹を決めなければいけないと覚悟していた」と明かされたり

更に後に出版された「かさぶた」の中では、大森さん3度目の申し出のあと…
「埋まる事がないポッカリとあいた、隙間というものがある
隙間を埋めるために、次の何かに挑み、成し遂げる事で、それを埋めるしかない
いや、埋まらないだろうその隙間を、成し遂げたい何かで、忘れようとする
果敢に挑む熱で癒すために、みんな生きるのだ」とか

「好きになった人からは無視され、そうでない人たちばかりに、愛されてしまう奴
これは、モテるとは言わない
モテるとは、好きになった人がこっちを振り返り、同じ視線で愛してくれる事である」
…と振り返っていらっしゃるのを拝見すると
甲斐さんにとっての「甲斐バンド」が、どんな存在だったか
その喪失によって、どれだけ胸を痛められたかが伝わって来ますね

まあ、奥さんは、解散後も甲斐さんがソロとして活動なさると知って、ホッとしていたし
「バンドとして、やるべきことは全てやった
この先も続けて行くなら、ストーンズみたいになるしかない」
…という甲斐さんの言葉に納得したらしく
第一報にこそ驚いたものの、そのあとの解散プロジェクトは、淡々と受け入れていたようです

それはともかく…
「でも、前例がなかったのはですね、この解散のストーリーなんですね
85年3月5日にですね『REPEAT & FADE』というですね
アナログ盤2枚組のアルバムが出たんですね
これは、メンバー4人がですね、それぞれの面を担当するという
まっ、バンドというよりも、ソロプロジェクトの2枚という感じだったんです」…って

甲斐さんは「はっぴいえんどに『風街ろまん』があるように
サディスティック・ミカ・バンドに『ファースト』があるように
ロックをやることで、時代の流れを走って来た甲斐バンドには
『テイストの確立』と言えるような、キチッと、この1枚と言えるレコードがあるか?

作ろう!という訳で、大森の耳の障害を期に
『ラブ・マイナス・ゼロ』というLPに取り組んで来た訳です
『虜』というLP以来、組んで来たアメリカのトップエンジニア
ボブ・クリアマウンテンとの3作目…このLPでは
甲斐バンドのポリシーを明確に出し得たと思っています」

…と、まずバンドとしての集大成アルバムを完成なさった上で
「4人のメンバーそれぞれの個性を充分に生かそう
…というコンセプトで作ったのが『REPEAT & FADE』
大森、松藤、田中、そして僕の4つのプロジェクトで、4曲をレコーディング
4枚の12インチ盤としてセットしたレコードです」と説明されてましたが

大森さんの最初の申し出があったと思われる?
「アルバム『GOLD』以降、作品に二つの色が表れるようになった
バンド向きの作品と、ソロ・テイストの曲だ
その二つの気配でアルバムは、バンドが終わるまで、満たされる事になる」とか

「結局、第1章から第4章まである長編ノベルっていうかね
そういう展開をやってみたかったってこと。それが出来る確信があったんだ
っていうのは『ラブ・マイナス・ゼロ』をミックスしている段階で
メンバー全員がそれぞれ作ったデモテープの出来が充実してた、面白かった
どれも、かなりクオリティが高かったからね

残る問題は、そういう素材をどんな風に組み立てて行くか?
映画で言えば、どんな脚本を書くか?それだけだった
そんな時に、ふと、第1章から第4章まで、独立した章立てのある長編ノベルを作ったら…
というアイデアが浮かんで来たわけ」という言葉からは、ご自身だけでなく
解散後のメンバー皆さんの活動について、お考えになっていたご様子が窺えます

「ただ、1人2曲ずつ計8曲で1枚のアルバムに収めるか?
1人4曲で2枚組にするか?フォーマットを考えていて
それぞれ10曲くらいずつ作った中から、なかなか削れなくて、どうしても4曲ずつは入れたくて…

その時、12インチシングルはどうかと思い当たった
12インチなら、片面2曲で1枚に4曲ずつ、各プロジェクトを丸ごと収録できると…
ってことは、このアルバムのコンセプトを、より明快に打ち出せるってことで
これは良いと思った訳だよね」と話されていたんですが

その10年後に…「この解散アルバム、僕にとっては残念だった1枚
ナンでかと言うと、4人がそれぞれ1枚、4曲ずつプロジェクトしてるんだけど
そっから1曲ずつ良いものを選んで、全体で1枚にした方が売れたんじゃないかと思うから…
あとで気がついたんだけど…(笑)」とおっしゃってました(笑)

まあ、そろそろ聴き手の側もCDを買い求めるなど、デジタル化の波が押し寄せて来つつあった
…甲斐バンドも、CDとカセットテープでのみリリースした「ポイズン80'」があったし…
とはいっても、80年代と言えば、やはり12インチ文化が根強かったと思うし
「風水火土」という4つの要素から成り立つ1つの世界という「ビジュアル・コンセプト」は
「4枚組」でこそ生かせたんじゃないかと…?

余談ですが…「ポイズン80'」の他にも「サウンドの甲斐バンド」を堪能できる(笑)
甲斐さんのボーカルなしのアルバム「ラブ・マイナス・ボイス」や
「ラブ・マイナス・ゼロ」の収録曲に因んだハードボイルド小説集をリリースするなど
画期的なアイデアを次々と繰り出されていたことも付け加えさせて頂きます♪