年末のイベント(体育館ツアー)に田中一郎さんが参加してですね
1984年に甲斐バンドの正規メンバーになるんですね」と田家さん
さらりとおっしゃってましたが、当時の甲斐さんが、近々そうなると匂わせていらしたとはいえ
いざ正式に発表された時には、長岡さんが脱退なさった際の
「甲斐バンドは、一生3人でやって行く」という言葉はどうなったのか?
…といった疑問を投げかけられるファンの方(もちろん奥さんも)も少なくなかったらしく
「ベースは永久欠番として、誰も入れるつもりはないけど、田中一郎はギターだからね」
…という甲斐さんのお答えにも釈然としない感じが拭えなかったみたいです(汗)
もっとも、その「匂わせ」の1つが「田中一郎の甲斐バンド加入の決め手になった」エピソード…
甲斐さんが「甲斐バンドの『タイム・イズ・オン・マイ・サイド』は何かな?」とお訊ねになったら
イチローさんが「それは『東京の一夜』だよ」と即答されたという話…を聴いた時に
少なくとも奥さんは「ほお!なるほど!」と大いに納得したようで
のちに、甲斐さんが「こいつとなら、一緒にバンドをやれる」と確信なさったという
やり取りだったことを知って、妙に腑に落ちる部分もあったんだとか…
当時はもう、ツインドラムにツインギター、ツインキーボードにパーカッション
おまけにブラス系も含めた大所帯でツアーを回られていたようですし
更なる音の厚みを出すためにも、大森さんとはタイプの異なる
サイドギタリストの方が必要だったんでしょうね?
まあ、我が家のオリジナル甲斐バンドのファンには
そのタイプが異なるトコがネックだったみたいですが…(苦笑)
イチローさんによれば…「最初は『やせた女のブルース』で
これはもうただ単純に、大森さんが慣れない音を使うんで
何か良いギターないかな?って、パッと行った感じ
ちゃんとギタリストとして来てくれないかって話は『誘惑』くらいからかな
僕をチョイスして使う訳だから、コイツが来ても何にもならないって曲では使わない訳じゃない?
アイツが弾いたら面白いだろうなって曲があると思うの
何らかの形で僕がアイデア出すことで
何か良いギターないかな?って、パッと行った感じ
ちゃんとギタリストとして来てくれないかって話は『誘惑』くらいからかな
僕をチョイスして使う訳だから、コイツが来ても何にもならないって曲では使わない訳じゃない?
アイツが弾いたら面白いだろうなって曲があると思うの
何らかの形で僕がアイデア出すことで
曲自体のアレンジが良くなることに繋がるっていう考えはあると思う
だから、このフレーズを弾いてくれっていうのは1回もなかった
だってフレーズが決まってたら、大森信和が弾くもん(笑)
甲斐バンドには、佐藤英二君というセッションのギタリストがいたけど、ニュアンス違うとは思うのね
それは彼が有能とか無能とかって話じゃなくて、プロジェクトの中の一人としてね
『マイ・ジェネレーション』のレコーディングに参加してた時
メンバーの一員だっていう気持ちもないし、部外者なんだって気持ちもないんだよ
だから、バンドサウンドを淘汰するためのトータル的なバンドのLPは
僕はやっぱりメンバーじゃないから考えられないけど
1曲1曲を作り上げることには、すごく加担できるわけ」
だから、このフレーズを弾いてくれっていうのは1回もなかった
だってフレーズが決まってたら、大森信和が弾くもん(笑)
甲斐バンドには、佐藤英二君というセッションのギタリストがいたけど、ニュアンス違うとは思うのね
それは彼が有能とか無能とかって話じゃなくて、プロジェクトの中の一人としてね
『マイ・ジェネレーション』のレコーディングに参加してた時
メンバーの一員だっていう気持ちもないし、部外者なんだって気持ちもないんだよ
だから、バンドサウンドを淘汰するためのトータル的なバンドのLPは
僕はやっぱりメンバーじゃないから考えられないけど
1曲1曲を作り上げることには、すごく加担できるわけ」
…と、限りなくメンバーに近い「強力な助っ人」的な立場で
長年、甲斐バンドのレコーディングに関わって来られたようですが
体育館ツアーで、5曲目の『GOLD』からステージに登場され
アンコール2曲目の『ダイナマイトが150屯』まで、14曲を演奏なさってみて
「甲斐バンドのステージは、想像してた通りだけど、それよりも一つずつ上だったね
あんなに確認しないアドリブって知らなかった
大森信和と甲斐よしひろは、ガーッと行って収拾がつくんだけど、僕は収拾がつかない(笑)
あれだけ以心伝心でビシッとしてるとは思わなかった」と話されてました
甲斐さんは、イチローさんが体育館ツアーに参加なさったことについて
「ゲスト・プレーヤーってことでやってる
ま、そんなに大げさなもんじゃないけど(笑)
俺たちも嬉しいし、一郎も嬉しがってやってるからね
俺たちも嬉しいし、一郎も嬉しがってやってるからね
10本くらい一緒にステージをやって、それが大きかったよね
価値があった、俺たちにとってはね
レコーディングに入る前に、彼がどういう風に
既成の僕らの曲を料理していくか
レコーディングに入る前に、彼がどういう風に
既成の僕らの曲を料理していくか
そのプロセスが見れたしね」と「加入ありき」の参加だったことを明かされてます
ちなみに…その後、甲斐さんは、イチローさんを
「甲斐バンド以上に甲斐バンドの曲をよく知ってる男」と評され
正式加入に関して「ひとつハッキリしてたのはさ
奴がもう『ギター・ヒーロー』でいるのはイヤなんだということ例えば、4分間の曲に1分の間奏があるみたいな、ギターが前面に出るしかないようなスタイル
詞とメロディとサウンドが絡まって、言うに言われぬうねりを出すって部分とは
程遠い所にいた訳だからさ
俺たちの所に来たっていうのは、ギター・ヒーローになるためじゃなくて
歌の中でギターを弾くんだという意識が非常に強かったみたいだね
俺たちの所に来たっていうのは、ギター・ヒーローになるためじゃなくて
歌の中でギターを弾くんだという意識が非常に強かったみたいだね
だから、たとえ間奏が15秒だって、必要なものだけ、オイシイとこだけ弾く
ちゃんとアピールする。で、アンサンブルとして、1曲が成り立っていく
それが、やっぱり一郎がやりたかったことだと思うのね
だから、奴の若い頃から知ってるってことは何ら関係なくて
俺たちが田中一郎っていうギタリストの腕を必要と確信して
一郎は一郎で、甲斐バンドっていうバンドのある種パワーやカラーを欲した
たまたま、そういうタイミングが合ったってことでしかないんだよね」と説明なさってました
それが、やっぱり一郎がやりたかったことだと思うのね
だから、奴の若い頃から知ってるってことは何ら関係なくて
俺たちが田中一郎っていうギタリストの腕を必要と確信して
一郎は一郎で、甲斐バンドっていうバンドのある種パワーやカラーを欲した
たまたま、そういうタイミングが合ったってことでしかないんだよね」と説明なさってました
そのイチローさんが、初めてメンバーとしてレコーディングに参加された
アルバム「ラブ・マイナス・ゼロ」については
「ボブがミックスダウンを終えた時点でハッキリ言ったんだけど
ギターのアンサンブルが全く違っている
すごく良くなってるって、その通りなんだよね
一郎のギター・アンサンブルは、もうほとんどムダがない」と甲斐さん
イチローさんご自身は「僕個人がどうのこうのってことじゃなくて
バンド自体のアンサンブルが良くなったって
ボブが言ったってことが嬉しかった」とおっしゃってますが
「ボーカル・バンドが好きだから」とのお言葉通り
「大森さんとのコントラストを考えながらの作業が楽しかった」んだとか…
ただ、イチローさんが加入なさったのと入れ違うかのように
大森さんから耳の不調による脱退の申し出があり(汗)
甲斐さんは「気分は判るし、説得をしたがダメで
準備があるので、発表まで1年間待って貰った」そうだけど
イチローさんは、甲斐バンド在籍期間2年の内
後半はずっと解散プロジェクトに関わっておられた訳で(汗)
後に甲斐さんが「結果的に田中一郎は、まるでメンバー同士のパイプ役になるために入って来たみたいになって可哀想なことをした」とおっしゃったのも無理からぬことかと…(汗)