J-POPスクール(4/9)その1 | ボクの奥さん

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ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

こちらは、アルフィーの坂崎幸之助さんがパーソナリティを務めておられる番組で
この日は、甲斐さんが出演された訳ではないんですが
新年度の新企画として始まった「今月お誕生日の人」というコーナーの2回目にあたり
「5日生まれの吉田拓郎さんと、7日生まれの甲斐よしひろさん、紹介します」ということで

甲斐バンドとデビュー同期の坂崎さんが「代表曲、ヒット曲というか
僕が好きな曲って感じかな」…という2曲をお選びになり
「J-POPの流れを作って来たアーティスト、現象やイベント…そんな話をしながら
日本の音楽の歩みを探って行こうというコーナー」で、甲斐さんについて語られてました♪

番組が始まって1時間…「えー、先週は清志郎さんと斎藤哲夫さん…2日と4日でしたけど
今日は拓郎さん5日、7日の甲斐さんということなんで…
4月は多いですよ!一昨日のフォーク村でもね
バンドのメンバーと、なぎらさん含めて5人、4月生まれでした!

えー、今日は拓郎さんと甲斐さんです!大物…大物だらけ(笑)
だから、紹介するもアレもなし、いいでしょ、もう…
拓郎さんは、だってさ、事あるごとに話してますから、もうそんなに…
みんなも『知ってるよ』ってことばっかでしょ、きっと…
なので、今日かける曲について、ちょっと説明しますけどね」と坂崎さん

まずは、拓郎さんの曲との出会いから話し始められたんだけど
坂崎さんの人生に多大なる影響を与えたという
拓郎さんについて語られる口調は異様に熱く(笑)
我が家は未見ながら、前回の記事で触れました
「MUSIC SOUP」のコンセプトそのままって感じで(笑)

また、甲斐さん(やボク)と同世代の方の体験談からは
当時の時代背景みたいなものが窺えて、非常に興味深かったので
拓郎さんに関するお話もご紹介したいと思います♪

…って、そもそも番組のオープニングから
同じNACK5で放送されている他の番組や、他局の番組では
プレゼントを用意したり、ゲストを迎えたりと
番組の発展向上のため?力を注いでいるのに
「この番組は全然、意識してない(笑)自由にやらせてくれる」と話され

それは「社長、会長が好意的で…僕に対して…昔からのアレだからさ…もう、同い年だとかさ
会長さんは、昔、僕らが売れてない頃からのつき合いでですね
そういう人が偉くなると、ホントいいですよ!仕事がやりやすくなります!ハイ(笑)」

…と、甲斐さんが「行列」を始め、様々な番組に出演なさるたびに
いわゆる「甲斐バンド世代」のフリークの方々が
プロデューサーとか、それなりの立場に立っておられるので

例えば、普通は3回あるはずのリハーサルが
「甲斐さん、リハーサル嫌いでしょ?1回でいいです」という風に
「便宜を図って貰える(笑)」とおっしゃっていたことが重なり
クスクスと笑ってしまったもので…(笑)

ともあれ…「僕が吉田拓郎さんを知ったのは、高校に入ってすぐなんですね
1970年の4月くらい…」と坂崎さん
「それまで僕は、フォーク少年ではあったんですけど
中学1年の暮れに、フォーク・クルセダーズにハマって
中2くらいから、アングラフォークにハマって…関西フォークみたいなのがあって…
それで、色んなの聴いてたことは聴いてたよね

特にね、生ギターを買ったんで、生ギターものを聴くようになったんですよ
そいで、岡林信康さんとか、五つの赤い風船が出て来た時に
フォークルからの流れで『ああ、面白いなあ』と思った高田渡さん…それが中3くらいね、69年…
URCのLPとかも…会員制のヤツ、兄貴が入ってたから、聴いたりして…」

…という辺りからもう「一緒!一緒!なか~ま!」って感じだし(笑)
初めてギターを手になさった時期や、お兄様の影響というか
身近に音楽がある環境は、甲斐さんと同じでいらっしゃいますよね?

「俺…『面白いな、こんなことまで歌っていいんだ?』みたいな…
GSも好きだったもんね、全く正反対のフォークも聴くようになったんですね
これで、まっ、反戦歌とかプロテストソングね
大人に対して…大きな権力に対してのね
そういう…あのー、思想を持った曲がいっぱいあって、学生運動があったりして…

ナンか『高校に入ったら、俺も新宿西口に行って歌うのかな?』
…みたいなことも思ってたんだけど、まっ、受験校に行って…みんな優秀な方々でしたよ
で、まあ、一瞬にして落ちこぼれた訳ですよ(笑)
みんな同じくらいのレベルのヤツが、一斉にスタートしたと思うじゃん?

高校入ってすぐ…その入学式にギターを持ってったっていう
スタートの僕が遅れたのは、これはもう必然ですよね
入学式にギター持ってった時点で、スタートしてないんですよ、僕だけはね
みんなは大学に向かって、バーッとスタートして、それでオカシイな?みたいな…
最初の中間テストでも全然…そっからもう立ち直れなかったんですよ」

…と、おそらく?人生最初の挫折を味わわれた「高校1年の時にドハマリした!
『ナンだ、この曲は!?スゴイ!』と思った曲…吉田拓郎さんとの出会いの曲ですけどね
えー、やっぱり、これからスタートです。この曲からスタートしたって感じですね」
…と「イメージの詩」を「今日は、長いけど全部聴くよ!」とフルで流されたあと

「うーん…大げさに言うと、ナンですかね?夢が…
まっ、フォーク・クルセダーズの時もあったんだけど
フォークルの時よりも、拓郎さん聴いた時の方が、うーん…ナンか直接『キた』感じですね
フォークルって、まっ、中1だからな…あんまり世の中のこと考えてないしね

あとは、自分が高校に入って、その…挫折した時に
拓郎さんから『今日まで生きて来ました』とかさ『街を出てみよう』とか言われちゃうと
『あっ!僕のために曲を書いてくれてるんだなあ』と思っちゃうんですよ(笑)単純だからね(笑)

で、2枚目のアルバム…えー『人間なんて』が出たんですね
その『人間なんて』の中でもまたね、僕は救われる訳ですよ、吉田拓郎という人に…
更に落ち込んで、もう『大学どころじゃないだろ!お前は!』って先生に言われ
このままだと危ないぞ、進学も進級も…あっ、ヤバイな…

その時にラジオから流れて来た、この曲のデモテープっていうか
まだレコードになる前の…ライブですね、スタジオライブ
よく、あの頃、AMではスタジオライブを各局でやってたんですね
生で演奏してて、それをカセットに録音して聴いてたのが、この歌で…

レコードになった時に、サイドギターの音がスゲェな!と思ったのが
のちに…ってか、最近ですよ、数年前ですよ
訊いたら、拓郎さんが『加藤(和彦さん)だよ』って…で、ビックリした覚えがあります
この曲は、何度も泣かされました、ハイ」と
アルバム「人間なんて」収録の「どうしてこんなに悲しいんだろう」を流され

いったんCMが入ったあとも「拓郎さんはホントにもう…やっぱり、一番感受性の豊かな時
そして、一番ギターとかが好きな時とか、ナンかそんな時期だったから
とにかくもう、出て来る歌、出て来る歌、アルバムから何から全部ね、好きで…
それで、歌ったりなんかしてたんで…
まあ、自分がプロになるなんていうことはね
まっ、なりたいとは思ってましたよ、高校の時…
でもまだ、そんな…ナンての?遠い夢ですよね

だって、きっかけが掴めないじゃないですか
その当時は、今みたいにYouTubeだのTikTokなんてないから
オーディションとかコンテストですよね
ホントに、でも高校3年くらいから、コンテストにちょちょっと出始めると
色々きっかけが生まれて来て…まっ、桜井とも知り合ったことも、もちろん大きかったんですけど…

で、プロへの道がだんだん開けてくる訳ですけど
プロになる前に…アマチュアの時にね、拓郎さんの『パックインミュージック』でね
小室(等)さんが…僕らの曲を使って貰って…僕らが歌ってる曲を
拓郎さんの『パックイン』に小室さんが持って行って(拓郎さんに)聴かしてくれて…
あれ、高校の3年の時だもんな

『加藤和彦に似てる声だな』って、拓郎さんが言ってたって…
そっから、ちょっと身近な感じにはなった
その2年後に、自分がまさか、こうやってレコードデビューするとは思ってなかったんですが
まあ、出来るといいなとは思ってたんですけど…」といった具合に熱く語られ

…と言っても、かなり、はしょってご紹介しておりますが(苦笑)
2曲挟まれたとはいえ、20分以上ずーっと
拓郎さん愛をノンストップで披露されて、完全に「いちファン」状態(笑)
もっとも、これでデビューなさったトコまで振り返られましたので
このあと、いよいよ甲斐さんについてのトークが始まります♪