「2016年の『卒業』、2017年の『サルビアの花』と
5~6曲目辺りで、じっくり聴かせる流れがもう出来上がっていて
この年は『ユエの流れ』をたっぷり聴かせました」と甲斐さん
「そして、それに続いて『ラン・フリー(スワンダンスを君と)』を聴かせたところに
曲数を13曲まで減らしたサイズでの起承転結を判りやすい形で展開する
そのポイントが、一番明瞭に出ていると思います
そもそも、僕らの中では2年目を終えた辺りで、13曲にしたかったんです
それは『この曲とこの曲のために必要な繋ぎの曲』みたいな遊びの部分を入れ込みたくなかったから…
『ここはお客さんがノリやすい流れにするために必要だね』
…というような意識も、プロとしては大事だけど
そういうものを削ぎ落とした形で、起承転結を気持ち良く見せるということをやりたかったんです
その意味で『ユエの流れ』をたっぷり聴かせたあと
『ラン・フリー』へと展開出来たことは、すごく大きな意味を持っています
『ラン・フリー』は、曲調はゴスペルチックなバラードだけど
描いている世界が、ものすごく大きいから
オーディエンスも一緒に盛り上がれるし、歌える曲
例えば、甲斐バンドのコンサートにおける『嵐の季節』のように
こういうじっくり聴かせた上に、みんなで歌える曲が出て来ると、そのシリーズは絶対大丈夫
加えて9曲目『汽笛の響き』が『冷血』に続いて、大ヒット曲になって行く訳ですが
こういう躍動感をしっかり感じさせる曲があると、いよいよ、そのシリーズは大丈夫なんです」
…と話されてますが『ラン・フリー』も『汽笛の響き』も
翌年のビルボードツアーに、めでたく残留したみたいですし(笑)
…って、この年は「ラン・フリー」まで座ったままで
次の「港からやってきた女」から総立ちといった流れだったのが
翌年は「ラン・フリー」がアンコールに据えられ
オールスタンディングの状態で聴けたことで、より歌いやすく「嵐の季節」化し(笑)
「汽笛の響き」は、奥さんが「サビからしか手拍子が起こらない」と不満気だったのが
2019年には、イントロの鈴木さんと山田さんの掛け合いから手拍子が続くことが増えたらしく
また、ナンと言っても、NYの「JAPAN DAY」で
「ヒット曲を…」というオファーにも関わらず
この「甲斐よしひろバンド」の「今」を表す曲として、この曲が演奏されたことで
奥さんの中では、2015年・2016年の「吟遊詩人の唄」「円舞曲」「破れたハートを売り物に」
2017年の「冷血」に続く「ビルボードライブの代表曲」に認定されたようです(笑)
それはともかく…
「8曲目『デッドライン』は『My Name is KAI』で弾き語りでやった曲を
ビルボードシリーズのスタイルで出来るようになったという意味で、これまた大きい1曲です
弾き語りでやっている曲は、僕1人の中では完全に出来上がってるんだけど
『1人で出来上がってるから、そこにギター、ベースと足して行けば良いだけだ』
…というのは、全く素人的な考えです」と甲斐さん
「そうやって足して行ったものが
ちゃんとアンサンブルとして出来上がるとは限らないんです、バンドというものは…
でも、この『デッドライン』はそれが出来ている
ということは、このバンドのスタイルが出来上がっていることの証なんですよね
そして、それはまた新たなスタイルを呼び起こすことにもなる訳です」とおっしゃってますが
その「My Name is KAI~ひとりきりの甲斐よしひろ~」ライブに関して…
「アコギだけど、でも『やっぱりロックだったよね』って形にしたかった
『あのアコギツアーは清々しくて良かった』
…なんて感想言われちゃったら、俺は誰なんだ?って感じだろ(笑)」…と話されたり
当時の甲斐報に「『アコースティックだからフォーク』ではなく
『アコースティックなのにロック』でもなく
『アコースティックだからこそ』カントリーやブルースといった
当時の甲斐報に「『アコースティックだからフォーク』ではなく
『アコースティックなのにロック』でもなく
『アコースティックだからこそ』カントリーやブルースといった
アメリカ音楽のルーツに、より遡った表現に現代的なセンスで切り込んでみる」…と書かれていて
かつて、お一人で臨まれた、アメリカン・ルーツ・ミュージックに対する新たなアプローチを
今度は「バンド」で表現なさりたかったのかなあと…?
そして…「また、この年の『観覧車'82』のように
本編最後は健太のウクレレをモチーフにしたアレンジで終わる形になって来ていることにも
このバンドのスタイルの完成を見てとることが出来ると思います」…と結ばれてますが
以前のインタビューで…「例えば、健太がバンジョーを使ったり、マンドリンを使ったりするのは
とにかく、そういう楽器を使ってほしいということではないんです
あるいは、ドブロギターという一般的にはそれほど馴染みがない楽器を
とにかく、そういう楽器を使ってほしいということではないんです
あるいは、ドブロギターという一般的にはそれほど馴染みがない楽器を
これ見よがしに使ったりしないのも、それを選んで使うことが必然的で
その必然性に従うのが僕らの中では自然なことだからなんです
まず楽曲があって、それに対する僕らなりのアプローチがあって
それを実現するには、この楽器が一番いいねという自覚的な判断があって、その結果なんですよね
一番大事なのは、自分たちがやろうとしていることに
僕ら自身がどれだけ自覚的かということなんですよ
自覚的にやるから楽しめるし自信になる
それでまた、もっとやりたいというアグレッシブな思いが湧いて来るんです」…と話されてます
一番大事なのは、自分たちがやろうとしていることに
僕ら自身がどれだけ自覚的かということなんですよ
自覚的にやるから楽しめるし自信になる
それでまた、もっとやりたいというアグレッシブな思いが湧いて来るんです」…と話されてます
当の鈴木さんは…「生楽器の強さ、もちろん繊細さも含めてですけど
そういうものを、肌を持って感じました
甲斐さんとやるまでは、エレクトリックな編成が基本で
アコースティックな演奏は、それを演出するためのひとつのコーナーみたいな感じがあったんですけど
独立した、その編成でしか出来ない表現であって
独立した、その編成でしか出来ない表現であって
何かのミニチュア版では決してない」…とお気づきになったみたいで
松藤さんがシーズン2をご覧になったあとに…
「鈴木くんはすごく真面目にかっちり組み立ててやってる
『オレとは違うなあ』というのがいちばん感じることですね(笑)
バンジョーやウクレレを弾いたり、ギターにしても曲によって持ち替えたり
変則チューニングの選択や、カポの使い方も含め
楽曲それぞれのカラーがちゃんと出る楽器を、すごく的確に選んで演奏してますよね」
「鈴木くんはすごく真面目にかっちり組み立ててやってる
『オレとは違うなあ』というのがいちばん感じることですね(笑)
バンジョーやウクレレを弾いたり、ギターにしても曲によって持ち替えたり
変則チューニングの選択や、カポの使い方も含め
楽曲それぞれのカラーがちゃんと出る楽器を、すごく的確に選んで演奏してますよね」
…と、おっしゃっていて、楽曲ごとに最適な選択を自覚的になさっていることが窺えますが
以前に、鈴木さんが「アコギ2本とウクレレ、ドブロ、バンジョーというラインナップ」
…と、沢山の楽器を並べられた写真と共に
「脳ミソの整理が大変です」とツイートなさっていたことを思い出しました(笑)
「脳ミソの整理が大変です」とツイートなさっていたことを思い出しました(笑)