プロモーションだったのに…1 | ボクの奥さん

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ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

本来なら、甲斐バンドでのビルボードツアー開幕まで1週間を切り
ドキドキワクワクのはずが、一部公演の延期が発表された今日この頃…
ツアーのプロモーションの一環だったと思われる甲斐さんのメディア露出が増えていて
「嬉しいような、セツナイような…」と奥さん(苦笑)
とりあえず「嬉しい」方に重心を置いて(笑)いくつかご紹介したいと思います

まずは、一昨日発売の「週刊現代」の「熱討スタジアム」
「甲斐バンド『裏切りの街角』を語ろう」から…
Kメールで発売情報が届いたのは昨日だったみたいですが
奥さんは、一昨日の朝刊を広げ「週刊現代」の広告に目をやった途端

「新型コロナウィルス あなたのその考えは正しいか」や「人生は最後に間違える」
「日本人よ、いまこそ中島みゆきを聴こう」といった太字ゴシック体の大見出しが踊る中
左下にひっそり佇んでいた(笑)「甲斐バンド」の文字に反応(笑)
デビュー当時からのファンは、ブレイク前の甲斐バンドが活字になることに敏感だったらしく
「セイヤング」にも投稿した通り「甲子園の『甲』の字にもドキッとした」んだとか…(笑)

ともあれ…以前に同誌の同企画で「安奈」が語られた時の「ディープ・ピープル」は
甲斐さんと船越英一郎さん、ディスクガレージの中西健夫さんでしたけど
今回は、松藤さんと亀和田武さん、東芝EMIの米田惠一さんが
「♪しとしと五月雨…『安奈』『HERO』に並ぶ渋い名曲」について語っておられます

この『裏切りの街角』が発売された1975年…今から45年前…
77年に東芝EMIに入社なさった米田さんは「まだ学生でした」
亀和田さんは「甲斐バンドのことをあちこちの雑誌で書き始めていたら
それが甲斐さんの耳に入って『会わないか』となったのが」78年で
「つきあいはもう40年以上になるけど
『裏切りの街角』の時はまだファンの1人に過ぎなかった」と話されると
「僕は甲斐バンドのメンバーでした(笑)」と松藤さん(笑)

「この曲は、別れを告げて旅立とうとする恋人を
ずぶ濡れになって駅まで追いかけて来た男性の歌です
ようやく姿を見つけた時、彼女はもう汽車に乗っている
そして、無情にも汽車は走り出すという場面を描写しています」と歌詞の内容を説明なさって

デビュー曲の「バス通り」から、この曲がリリースされるまで時間がかかったのは
「1回レコーディングを終えたんだけど
すぐに違うメロディでもう1回やろうとなって、全部録り直したからなんです」
「最初のテイクは全然違う感じで、あのギターのイントロもなかった
間奏でキャッチーなエレキギターが入るけど
全体的にアコースティックギターの弾き語りで
もっとフォークっぽい曲でした」と明かされると

「そっちのアレンジも聴いてみたいね」と亀和田さん…もちろん奥さんもハゲ同でしたが(笑)
残念ながら「どこを探してもマスターテープが見つからない」そうです
まあ「ハイウェイ25」をリリースされる際に
かなり徹底的にマスターテープのケアをなさっていたみたいだし
「サーカス&サーカス2019」の特典音源にも、レアなアレンジ曲が収録されていたし
「出さない」のではなく、ホントに「ない」んでしょうね?

でも、その数年後「破れたハートを売り物に」のレコーディングで
試行錯誤の末にやっと完成した音源をプレス工場に送った翌朝に
「やっぱり違う!」とストップをおかけになった…というエピソードにも通じるような
「沢山の迷惑をかけてでも、我を押し通してやらなきゃっていうのがある」という
甲斐さんの「自分に忠実であれ」の姿勢が、この時点でもう貫かれていたんだなあと…

それはともかく…「あのイントロは甲斐さんが考えたんですか?」という米田さんの質問に
松藤さんが「そうだったと思う。ギターの弾き始めのタイミングが難しくて
大森(信和。甲斐バンドのギタリスト。04年没)さんは苦しんでいました
甲斐さんが『大森さん、そこちょっと違う』と
何度もダメ出しをしていたのを覚えています」とお答えになり

甲斐さんご自身も、これまで何度となく「あのイントロ」に触れられているし
かなりのこだわりがおありなのが感じられたんですが
奥さんは、その「ダメ出し」のエピソードから
「悪いうわさ」のレコーディングでの「椅子投げ(汗)」の件を思い浮かべたらしく
更に、米田さんが「とにかくレコーディングに時間がかかるバンドでした(笑)」と振り返られ

松藤さんが「甲斐さんがスタジオに来て『この曲をやるよ』って新曲を歌い出す
甲斐さんは楽器を使わずに作曲することもあったから、僕たちは甲斐さんのアカペラを聴き
コードはこうじゃないか、ああじゃないかと試したり、曲の構成を考える
最初の10年はそういうやり方で作ってましたから」…と話されているのを読んで
「だから『編曲・甲斐バンド』なんだよねぇ」と遠い目(笑)

甲斐さんが「『甲斐バンド』は、俺のワンマンバンドじゃない」とおっしゃったのも
奥さんが、甲斐さんのソロ第1期や、96年の甲斐バンド再結成の時に
「甲斐バンドというバンド」を改めて感じたのも
そういったオフステージの部分で培われた空気感というか信頼感というか
音だけじゃなく独自のカラーを出すには「このメンバーが揃ってこそ」が必須なのかなあと…

で…甲斐さんが「『かけら』のようなモノだけ持って」スタジオに入られるために
「(コードや曲の構成を考える)それだけで1日がかりでした
その後でようやくレコーディングでしたからね」と米田さん
松藤さんが「バンドでレコーディングしてから
アレンジャーにキーボードやシンセサイザーの音をかぶせて貰っていたので
そこからもまた時間がかかるんですよ」と説明なさると

「こっちの身にもなって欲しかった…と言いたいところだけど
バンドで構成を考え抜いているから、曲自体はしっかりしているんです
それにキーボードが加わるとどんな曲に変わるのか
ディレクターとしては実は楽しみでもあった
時間ががかり過ぎてヤキモキさせられもしたけど
そのぶん期待もさせてくれるバンドでした」とおっしゃっていて

松藤さんが財津和夫さんの「Wake Up」のレコーディングに参加なさった時に
「楽譜がポンと置いてあって『それぞれ音作ってやってみよう』って言われて…出来る訳ないですよね
甲斐バンドでは、そんな風にやったことないんで…」とお困りになられた話を思い出しました(笑)

もっとも、甲斐さんもソロになられた途端に
「急に思い立って、レコーディングしたくなっても
夜中に電話してメンバーを呼び出すって訳には行かないんだよね」と
長年に渡って当たり前でいらした「甲斐バンド方式」が通じないことに戸惑っておられたような気が…(笑)