コワイんです、ウソつけないから…
だから、身近なことを喋るのが良いんです
1対1で喋ってるような気持ちで…」と常々おっしゃってますが
「オールナイトニッポン 放送50年」という記事の中で
笑福亭鶴光師匠も「『ハガキがさも喋ってるが如く』が俺のDJ
ハガキの向こうに書いた人の生活とか環境とか人間性が見えるわけ
そいつがこんな風に読んで貰いたいと思う通りに読んだげる
ラジオって、パーソナリティが8割やろな
作られた魅力はアカンねん
この人、優しそうに見えて冷たい人間ちゃうか?とか見抜かれてまうんや
ラジオはシンプルが一番ええ
ええ選曲、メールを上手いこと読む、一緒に楽しむ…
終わった後に何にも残らんでもええねん
こいつも頑張ってんねんから、俺も頑張ろうという
ひとつの共通性が生まれること
マンツーマンの世界やから
ラジオのファンはいつまでも離れへんのよ」と話されていて
「ライブとラジオは一緒」という甲斐さんの言葉は
聴き手一人一人との「コール&レスポンス」が大切だってスタンスを
指しておられたのかなあと…?
ちなみに…今年から「オールナイトニッポン」のパーソナリティに
菅田将暉さんを起用なさったチーフディレクター・Fさんは
高校生の頃、ゆずのお二人の放送を聴かれ
「知らないことを教えてくれる近所のお兄ちゃんのように
ゆずを身近に感じた」ご自身の経験が
今回の起用のきっかけだったみたいだけど
まあ、それは我が家のリスナーも中学生の頃から
「近所のお兄ちゃん」を「神様」に置き換えればハゲ同でしょう(笑)
Fさんは、ハガキやファクスがメールに取って代わられ
ラジオではなく、ネット配信での聴取が増え
オンエア中にSNSが賑わう時代になっても
「ツールが増えても『根っこ』は同じ
『その時』を共有するのが大事だと
相変わらず思っている」んだとか…
ともあれ…漫才ブームやさんまさんの東京進出によって
関西弁が全国に広められる前に
「鶴光でおま!」や「ええのんか〜?(笑)」とラジオで話されていたのって
今考えると何気にすごくね?(笑)
小松左京さんが…「あのまだるっこいような、圭角のとれた関西弁は
『論争』や『処断』の言葉ではなく
『話し合い』の言葉なのである
関西弁は座談には良いが、論争や演説には向いていない」…とおっしゃる通り
関西には「発言は次に話が続くような仕方で終えなければならない」
あるいは「オチのない話は、しょーもない」という暗黙の了解があり(笑)
そういう意味では、ラジオで「一人語り」をすることも
実は、ラジオの向こうの誰かと会話しているということなんだなあと…
「関西の視聴率男」やしきたかじんさんが
東京の番組は「性に合わん」と降板なさった後で
「原液のままやったら、東京の人は『飲みにくい』と言うでしょう
でも、薄める自分を関西の人に見透かされるのが嫌だった」と説明しておられましたが
その底辺には「身を滅ぼしかねないまでに没頭しないと評価されず
適度に収めるという発想がない」関西番組の風潮が潜んでいるらしい(汗)
岸和田生まれの編集者・江弘毅さんによると…
「この街は、通知簿1と5の親友が
毎日、ワイワイやかましくやっている街ですわ
世間の流行や情報ばかり気にして
通知簿3…つまりは平均値あたりで無難に生きる…そんな人生はつまらない
岸和田では、そんな生き方を通知簿1の奴は『さっぱり判らん』と言い
5の奴は『お前はアホか』で終わりや」そうです(笑)
田辺聖子さんは…
「まぁ、ヒトのことやさかい、かめへんようなものの」…とお書きになりながら
「大阪人はヒトに構わないではいられない
横にいるとつい、頭をこづいたり、肘鉄を食らわしたり
自他のバリアが何とも低い」と…(笑)
「苺をつぶして」という小説の中では
「煙草ぐらい、ゆっくり吸わしたれや」と
煙草を吸ってる当人が、ヒトに代わって
「頼んでやってるような口ぶり」で話すシーンがあり
「人なつっこいというか、寂しがりというか…」と笑っておられました(笑)
「折々のことば」の監修者・鷲田清一さんは
「やかましい」(関西の物言い)…を取り上げられ
「関西では『うるさい』より『やかましい』と言う
店で騒いでいると、大阪では隣席から『やかましいなあ』の声が…
が、そう言う席の方が実はやかましい
そして双方ますます賑やかに…
京都の店では『お元気でよろしいな』の声
だが、顰蹙を買っているとはすぐに気づかない
その場かぎり、後に引かないのが大阪
後でじんわり効いて来るのが京都
ご近所なのにこの差」と記されているんだけど
この場合、後で気づくと顰蹙を買うんじゃないかと…?(苦笑)
国際通訳者として活躍なさっている郡美矢牧師によると…
「言葉には力があります
だからこそ、穏やかに話す人になりましょう
言葉は意味を伝えるだけではなく、声で触れてゆくから
本当に大事なことは抑え気味の声で話す方が良い
激しい声は人を圧し、怯ませる
よどむ言葉、ためらいがちの言葉、たどたどしい言葉の方が
なめらかに流れる言葉より、時に多くを伝える」みたいですが
「穏やかに『よろしいな』」と言われたら
ますます「本意」は伝わらないような気が…(笑)
所有機たった1機のある地方航空の社長は
上手く行かないところがあると
「何故そうなのか?」と詳しく問いかけられるらしく
CAの方は、その社長の話し方について
「ストレートに意見を言って来ますが
人の心に土足で入るようなことはしない
スリッパを履いて入って来る感じ」とおっしゃってます(笑)
さんまさんがよく口にされる「土足で忍び足(笑)」の対極にあるこの話し方が
一番気持ちよく耳を傾けることの出来る方法かも知れませんね
余談ですが…哲学者・坂部恵さんによれば
「『話にならない』話は有り得るが
『語りにならない』語りは…元来有り得ない」らしい
つまり、まとまりのない「話」は有り得るが
起承転結のまとまりのない「語り」は有り得ない
語りには筋立て、事態の捉え直しが必ず含まれる
そして、筋立てが編まれ、構成されるものであるからには
当然、そこには嘘や偽り、隠蔽も忍び込む
語りは「騙り」でもある…そうだし
また、心理学者・浜田寿美男さんも…
「人が過去の体験を語る時と同じで、取り調べにおける供述も
筋書きのある話として、特定の誰かに向けて語り出される
だから、状況次第で、その筋書きも事実とは真反対に歪むことがある
人の言葉は揺れる」…というのは
「そう語らざるを得なかった痕跡」を分析なさった結果とおっしゃってます
まあ、嘘をつくつもりはなくても
ついつい話を盛ったり(笑)尾ひれがついたり(笑)…といったことは
誰しもご経験があることなんじゃないかと…?(笑)