機関紙BEATNIK22 | ボクの奥さん

ボクの奥さん

ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

さて、1983年6月号に掲載された甲斐さんのインタビューですが
「GOLD」発売まで30日あまり、そのトラックダウンのために
渡米される直前の成田空港で行われたとのことで
話題の中心は、このニューアルバムについてです

「虜」よりも非常に編成が少なくなっていて
いわゆるバンドの音で、それプラス、ベースとキーボードだけで
処理できるようにしたいっていうとこで、今回入ったからね
人数が少ないとインパクトがあるし強いよね
前に出て行き方が分散してないということで…と甲斐さん

非常に明るくなってると思う
ただパアッと明るいっていうんじゃなくて
ハジケルとか、飛び散るっていうような
ある種、一瞬のスピード感と瞬発力という、どっかバネのあるような明るさ
ブライトなLPを作りたいと思ってたし

ホントは「虜」もそういう感じで入ったんだけど
どっちかっていうと、あれは甲斐バンドというよりも
甲斐よしひろパーソナルっていう、非常に個性の強い性格のLPだったのね
…と、おっしゃってますが

これは「かけらみたいなものを持ってしかスタジオに入らないから
それからどんどん変えていくというやり方でずっと来てるんで
ま、いつも甲斐よしひろ個人の作詞の部分と
バンドナイズされた色合いのものと微妙に揺れてるわけで
作ってみないと判らない」ためらしい

ただ「リズムセクションとキーボード関係の人間が
ほとんど決まっちゃったのね
マイ・ジェネレーション以来、久方ぶりに決まったわけね」というのは
同時期の別の取材でも話されていて

「今まで1曲ごとに何人ものミュージシャンが関わって来たんですよ
それをある程度、8~10人でいいから
ひとつのバンド形態みたいなものを作っちゃって
その人間たちで曲を作っていく
だから、出来上がるのも早いし、ひとつのトーンが出る
その中でハートフルな部分が、当然やればやるほど押し出されていく」と…

「マイ・ジェネレーション以来」というと、長岡さんの脱退後にあたる時期…
甲斐さんの公私共に様々なことがおありだった頃で
「思い描いてる音が出来ない」とか
「思うようにメンバーと会えない」という悩みも抱えておられたみたいだし

「コマーシャルなものもポップなものも、色んな意味を含めて
人が歌ってないものを歌う自分のポジションというか
テリトリーみたいな部分を自分で一回壊したのね」

「壊してバラバラにした後、破片を拾い集めて
また違ったものを作り上げようって感じが非常にあったんだよね
それが虜っていうLPだったし…
ある程度、形が出来ちゃえば、これでいいのかなというハテナな部分
クエスチョンな部分と色々ありますよね」とおっしゃっていて

「GOLD」のレコーディング中に「もう何もかも放り出して…」
とまで考えていらしたようだし(汗)
昔ながらのやり方に戻されたことで
どこかホッと、またはハッとなさった部分もおありだったのかなあと…?

余談ですが、ジョン・レノンがかつて言ったという
「この世で一番不幸な人とは、自分の仕事に満足できない人だ」という言葉や
キースがミックについて語った
「幸せな人生とは言えないな。99%の人間は憧れるだろうけど
あいつはミック・ジャガーであることに満足してはいないんだ」との発言が
この頃の甲斐さんに重なってしまいました(汗)

それはさておき…アルバムの構成に関しての質問では
「あまり好きな言い方じゃないんだけど
やっぱりプロデューサー志向っていうのが強いから
8割がた作ったら、後の2割は1本の線にするためにあるわけ」

「そうすると、ある程度の色合いが出てるのを
後の2割で、完結させるための色を出すっていう風に進んだりするんで
他の曲が出来ても、今回はちょっとお引き取り願おうということもあります」と甲斐さん

「今度のLPは1曲だけ作ってスタジオに入ったのね
で、少しずつ出してって、どんどんテンポアップして行ったという作り方だから
その間に、これは甲斐バンドじゃなきゃ出来ないってのも書き上げたし

実際に一番最後に録ったテイクは
一番最初にバンドでやって、出来なくて
もうやめって感じでほっといたのね
そいで、もう1曲やっぱり欲しいなっていう時に
最後ギリギリにスタジオ入って2時間で録っちゃったテイクなんです」と話され

最初に出来なかった原因として
「野球で言えば、ジャイアンツみたいな試合運びとさ
中日みたいな試合運びがあって
ジャイアンツに中日みたいな試合運びをやれよって言ったって
それはムリな訳だから、そういう部分であるよね
だから、バンドってのは、いつも何かあると絶対スタジオにいつもいる
とにかく入るというようにならないとダメね」とおっしゃってますが

解散後にソロ活動を始められた甲斐さんが
「甲斐バンドの頃は、夜中の1時に思い立って電話したら
3時には全員スタジオに集まるって感じだったけど
ソロになると、メンバーのスケジュールを調整するのに
10日ぐらいかかるんだよね」と嘆いておられたことがありましたよね(笑)

ともあれ、この時のレコーディングは、2度目のパワステとあって
ボブ・クリアマウンテンのやり方も理解なさった上で
「彼にとって一番やりやすいだろうなと思えるのはシンプル、これに尽きる
強く、はっきり、しかもブライトに彼なら出せる
その辺は、もうはっきり計算しました」と話されてます

ただ、音源が予定よりも早く出来たことによって
「2年先までびっしり」というボブのスケジュールを押さえるのが大変だったようだけど
82年11月号の表紙を飾った「KAIが次もやりたいと言えば
僕はいつでもOKだ」との言葉通り
甲斐さんのために時間を割いてくれたんだとか…

甲斐さんは「虜」を作られた時に
「捜して捜して必要だと思ったから彼を選んだ
でも、俺たちの音を聴いてNOと言われたら
いくらお金を積んでも引き受けて貰えなかっただろう」とおっしゃってましたが

この時は「ボブがどうかな?と言えば…」という話と共に
「僕らが、ちょっと疲れてるんじゃない、ボブ?という話もあれば
スケジュールという部分で、別なコンタクトを始める可能性もある」とも話されていて
上記のボブの言葉が、単なる「社交辞令」ではなくて良かったですね(笑)

「GOLDは夏っぽい感じがする」との感想には…
「夏をイメージしたというのは全くないね
元々、10月くらいに出すLPでもさ
夏が出て来るようなのって俺たちいっぱいあったからね」

「ま、春と秋を歌うとフォークソングになっちゃうって話もあってさ(笑)
じゃあってんで「荒馬」みたいに
わざと春をアコースティックに歌っちゃうみたいなこともしたしね
だけど、街の闇みたいなのが一番似合うのはやっぱり夏でしょう
後は、冬の凍てついた朝みたいな部分が
しっかり歌えれば最高だろうね」と答えておられますが

「インタビューとかコメントとかってのは、全く必要ないLP
これぐらい必要ないLPってないよって気分ですね
言いたいことは全部入ってる
甲斐バンドがそこにいればいい訳じゃない?
いればアピールなんだからさ(笑)
ま、曲聴いてって感じですね」と結ばれてます(笑)