長い間、ほったらかしにしておりましたが
甲斐バンドの定期刊行紙について、あれこれ書いてみようシリーズ再開です
この機関紙の表紙に掲載されたシビレる言葉に
軽く触れるつもりが(笑)ずんずん掘り下げてしまい
8号分をご紹介するのに「その20」までかかってしまいました(汗)
少しテンポアップしないと、いつまでも終わらないぞ…と思いつつ、いざ…
1983年6月Vol.18には「だけど気を落としちゃいけない
ぼくの歌を聴いて全世界を救ってほしい」という
ミック・ジャガーの言葉が掲げられてます
キースの言葉が掲載された3月号は
表紙の写真も中身の特集も大森さんだったけど
今回は、マンハッタン?の夜景と甲斐さんのインタビューです♪
甲斐バンドがストーンズを意識したイメージを打ち出していたのは
甲斐さんが「ストーンズに賭けた」少年でいらしたことはもちろんでしょうが
東芝EMIの広瀬将俊さんが、大のストーンズ・フリークで(笑)
デビュー当時の「チューリップの弟バンド」という印象を拭って
「チューリップとの違いをどうやって訴えていくかがテーマ」だった頃に
「チューリップがビートルズだとしたら
甲斐バンドはストーンズなんではないだろうか?」という直感から
「英雄と悪漢」のジャケット撮影のイメージとして
カメラマンの方にストーンズの「ディッセンバーズ・チルドレン」の
ジャケットをお見せになったのが始まりらしい
ただ、そのことを広瀬さんに指摘なさったのは
五業昌晶(佐藤剛)さんだったみたいで
「ガラスの動物園」の宣伝用パンフレットにも
「僕と甲斐バンドとの出会いで、両者を親密にした共通の話題は
ローリング・ストーンズであった」との書き出しで
「英雄と悪漢」のバック・カバーは、ストーンズの初期の傑作であり
にも関わらず日本では未発売のアルバム「ディッセンバーズ・チルドレン」の同一の構図である
さて、ここで注目したいのは、甲斐よしひろの位置が
ストーンズのブライアン・ジョーンズと同じ位置であることだ
甲斐よしひろは、たとえば、ミックとブライアンの両面を持っている
写真の構図に表れた彼は、その殆どがブライアン的であると記されてます
先日、AWAの企画「マイ・ビートルズ」に甲斐さんが参加され
8曲を挙げられた時のインタビューで
「ビートルズに対する思いや思い出はありますか?」との質問に
「小学3年生の時にブリティッシュ・インベージョンの洗礼を受けた
ランドセルを背負いながら、田んぼを横切り
ツイスト&シャウトを鼻唄で歌いながら学校に行ってた
その後、ストーンズに寝返ったが」と答えておられましたが(笑)
プロデビューが決まった後に
甲斐さんが考えていらしたバンド名は
ビートルズがらみだったんですよね(笑)
ともあれ【裏切りの街角】を書かれる際に
「ストーンズやキンクスのようなブラックでアーシーなサウンド
誰でも口ずさめるようなポップさに裏付けられているんだけど
表面上は黒っぽいサウンドで不良性があるというコンセプト」を打ち出され
ご自身が【悪魔を憐れむ歌】や
【ストリート・ファイティング・マン】に受けられた衝撃を
同じ表現者として、今度はご自身が突きつけたいと思われたという
「ライブは一番大事な場所」と甲斐さん
「ストーンズがずっと続けていて
ビートルズが途中で止めちゃったというのは、すごく大きな部分だよね
ストーンズが解散しないのは、やり続けているから…
ライブで、次の創造とか
自分の中の意識とかを確認してるんだよ」と話されてますが
1986年の甲斐バンド解散の際にも
「甲斐バンドとして、やるべき事は全てやった
これ以上続けていくとしたら
ストーンズみたいになるしかない」とおっしゃってました
ミックには、前出の言葉の他にも
「R&Rは進化しないんだ。変化し続けるんだ」とか
「自分たちが心から楽しんでるからこそ、成功も手に入れることが出来た」とか
「いつも欲しいものが手に入るとは限らない
しばしば、その代わりに必要なものが手に入る」といった名言がありますが
「45歳にもなって、サティスファクションを歌ってるくらいなら
死んでた方がいい」という言葉には
若干の訂正が必要じゃないかと…(笑)
69歳の誕生日には「若い頃は、ルックスも良く
体も今より動いていたが、バカだった
年を経た今は…単に…バカなだけだ」とミック(笑)
でも「素晴らしい音楽を創造するためには
クソみたいなレコードを山ほど聴かなきゃならないんだよ」とか
「夢はデカイ車を乗り回し、女の子をはべらし、金を使いまくることだ
昔もこれからも、それは変わらないよ」といった言葉に
まだまだ転がり続けるぜ!っていうパワーを感じます(笑)
甲斐さんも「美味しいお酒が飲めるように」走り続けて行かれるでしょうね(笑)