先方からオファーがあったにも関わらず
甲斐さんが『静かに断られた』という徹子の部屋(爆)
来年は40周年を迎えるそうだ
最近は芸人さんの間で、本来のトーク番組とは違う意味で
『出てみたい?』番組になってるみたいですが…(爆)
甲斐さんが『絶対に出たくない』とおっしゃったのは、はるか昔のことらしいんだけど
その理由は、奥さんのおぼろ気な記憶によると…
黒柳さんは質問するだけで、人の話を全く聞かないということだった気がするんだとか…(苦笑)
確かに、甲斐さんとは話が噛み合わなそうですが…(笑)
番組開始当時の黒柳さんの希望は
スタッフの方を変えないことと編集をしないこと
ご自身の髪型を変えられないのも、視聴者の方が気を散らさずに
安心してゲストの方の話を聞けるようにという配慮なんだとか…
じゃあ、フツーの髪型で良くね?(笑)
この番組は録画でも、ゲストの方とは
生放送みたいな真剣勝負がしたいと黒柳さん
テレビの魅力は生放送の緊張感にあると考えておられるそうで
実際に編集をしないことで、ゲストの方が普段話さないような話を
話されたりもするらしいんだけど
この番組の第1回のゲストであり
『肩の力を抜いて楽しく話せばいい』ということを身をもって示して下さった森繁久彌さんが
番組25周年の時に出演なさった際には、集中を欠いておられたらしく
『これじゃ放送できません』と編集を余儀なくされたんだとか…(苦笑)
その森繁久彌邸に忍び込んで柿を取り『社長いるか!?(笑)』と叫んでは
『またお前たちか!』と追いかけられた(笑)と高田文夫さん
前々回だったか?甲斐さんがセイヤングで
感動的な『ハチ公』のメールを読まれた後に
高田さんが週刊誌に『お袋はハチがもらい食いをしてたと言ってたもん』と
話していたと大笑いなさってたけど
ボクの手元にある記事にも『浅草出身で出版社を営む父と
忠犬ハチ公にエサをやっていた母(爆)の間に生まれた』と書かれてます(笑)
『下町の知性と、山の手のイナセがブレンドされたのが、この私です』と高田さん(笑)
末広亭に入ると途端に『坊っちゃん、そこに座って!』と
高座から初代の三平師匠に言われたという少年は
その後『ツービートのたけし』と知り合われて…(笑)
ニッポン放送からの『ツービートの面白い方だけ貸して』という
漫才師をバラで使うことなど考えられなかった当時の依頼に
事務所がつけた条件は『タケちゃん人見知りだから(笑)高田さんがついて行くこと』だったらしい(笑)
その北野武監督が『龍三と七人の子分たち』のインタビューで…
体のことばっかり気にしたり、若いヤツに媚びを売ったりして
『いいお爺さん』と呼ばれるような年寄りじゃなく
『早く死なねえかな、あのジジイ!(笑)』と言われるくらいでないと…と話されてたけど
甲斐さんも『森繁くらい長生きして、世にハバかってやる!』とおっしゃってましたよね(笑)
昔の日本には、頑固でうるさくて、おっかないジイさんがいっぱいいたと北野監督
昼間っから外で酒飲んで、ベロベロになって大暴れして捕まったって
ボケたふりをすればいいんだから(笑)
もっと精神的に不良になった方がいいと
そんなジイさんが沢山出て来る映画を作ったんだとか…(笑)
『主演の藤竜也さんを始め、皆さんキャリアがあってウマイ人ばかりだから
撮影はやり易かった』そうですが
耳の遠い方や目の悪い方もいらして
『よーい、スタート!』『えっ?なに?』とか(爆)
拳銃をぶっ放すシーンで本当に手が震えておられ
『これは止めておきますか』と気を遣われたこともあったらしい(笑)
漫才師でデビューなさった頃は『ジイさんの悪口ばかり言ってたけど(笑)
自分がジイさんになっても相変わらずクダラナイことやってるなと思うね
でも、こんなクダラナイ映画を作れるんだから
まだ大丈夫かなみたいな気分だよ』と話されてます(笑)
ちなみに…元ヤクザの親分がオレオレ詐欺に引っ掛かり、昔の子分たちと
犯人たちに仕返しをするというこの映画のストーリーは
逃げる暴走族をジイさん達がタクシーで追っかけようとするんだけど
みんなお金を持っておらず…(苦笑)
誰かが『老人パス』ならあるぞ(爆)と言って
バスの運転手を脅かして追いかけさせる(笑)というアイデアから
逆算して出来たそうです(笑)
『死んだ後に、やっとくたばりやがったか!って言われるような
そんなジイさんの方が元気があっていいよね』ってお言葉通り
元気でいらっしゃいますよね(笑)