久しぶりにお勉強?その3 | ボクの奥さん

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ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

1981年暮れの武道館ライブで突然の
『ツアーをしばらく休む』
『東京を離れるかも知れない』宣言!?

『ショートレンジからロングレンジへ』のきっかけは…

当時の甲斐バンドにとって
シングルのヒットチャートランクと
ライブの動員数には全く関係がないこと

ビジネス面に於いて
イベンターやレコード会社との契約、権利問題を
合議・解決する時間が必要だったこと

『充分な環境で子供を産むためには
どんなことをしてもいいと思ってる』
という甲斐さんの父親としての決意が挙げられてますが

甲斐さんが、そう考えるようになられたのは
(長岡さんの脱退、離婚等があった年)

俺個人にとっても、バンドにとっても最悪だった
最愛の人間たちが何人か去っていったのね

それはものすごくデカイことだった
俺たちの体制に打撃を与えるのに十分だった

その時に、3ヶ月に1枚ヒットを出さなきゃ…
という考え方を捨てようと思った

LPも1年に1枚
骨組みのブッといヤツを作ればいいんじゃないかと

今がその時期だって
ハンマーで殴られたみたいに思ったのね


冒頭の『宣言』がなされる前にリリースされた
アルバム【破れたハート…】について

甲斐さんいわく…

【破れたハート…】という曲を作るのに10ヶ月かかった

日本人のミキサーを3人替えて
100時間近くかかってるのにも関わらず
出来上がったものは
生きてない音だった訳ですよ

日本人に失望したんじゃなくて
ロックってジャンルの中で
新しいスタイルを出した時に
歴史のなさが暴露されたんだよね

ボブ・クリアマウンテンというミキサーに
1年間コンタクトを取り続けながら

絶対コンタクトをつけるんだって意志とは別に
言葉を書く人間から湧き出る部分として
これは完全に復讐戦な訳よね

半年間ライブをやらなくてもいい
ブランクになってもいい
苦しいかも知れないけど、1作創るためにやる


だからこそ、ボブが【破れた…】のデモテープを聴いて
『是非やりたい』とOKしてくれたこと

ずっと頭の中にあって形にならなかったものが
ボブの手によって、やっと形になった時は
本当に嬉しかったと思います♪


やりたいことと
やらなければいけないことが判っているのに

どこで誰とやっていいか判らない
という状態が18ヶ月間も続いた甲斐さん

『思わずボブと抱き合ったもんね
泣いたよね、少し』


このニューヨークでのレコーディングについて
マスコミが、話題作りのためとか
ファッションとしてとか騒いだようだけど(苦笑)

甲斐さんいわく…

ニューヨークだから来たんじゃない
もしボブがロンドンにいたら、ロンドンに行ったし
四国にいれば、四国に行ったと思う


そして【破れた…】は
12インチシングル【ナイトウェイヴ】のB面に収められ

【虜】は、1982年11月にリリースされた

ちなみに、この発売日には
神戸で甲斐バンドライブがあったらしく

奥さんは、買ったばかりのアルバムを抱えて
会場に行ったことを覚えているそうだ(笑)

【虜】は、発売1週間で2位にランクインしたという

その翌月の武道館で再び
『いいモノを作る時間をくれよ』という甲斐さんの言葉

半年間のレコーディング
その後にツアーというサイクルが
定着し始めていたようです(笑)