以前に何度かご紹介した
妙安寺ファミリー・バンドの門田一郎さんが
アマチュアバンドのコンサートを開く際に
個人名では借りられないホールがあるため
『フライドチキン』という企画グループを作ったそうだ
その頃、一緒に活動されていたのが
【自称・甲斐よしひろのマネージャー】こと小宮真一さん(笑)
妙安寺ファミリー・バンドを照和にスカウトした…と言うか
甲斐さんの指令に従って出演交渉した
広津さんの後にマネージャーになった方です
当時の甲斐さんが
レコード会社に送るデモテープを作るため
深夜に照和で録音するのを
門田さんが見学したことがきっかけだったそうだ
甲斐さんのアマチュア最後のコンサートも
もちろん小宮さんの企画で…
というより、小宮さんが企画するコンサートは
全て甲斐さん絡みだったらしい(爆)
甲斐さんの詩集『思春期』は
このコンサートに間に合うように
門田さんが作ったもので
巻末には『フライドチキン』の名前が記されている
ある時、鹿児島のアマチュアバンドが
地元で自主コンサートを計画していたけど
ワンマンで開催するほどの動員力がないので
妙安寺ファミリー・バンドに出演依頼が来たそうだ
アマチュア仲間のコンサートは
出来る限りの協力をするのが当時の不文律だったようで
門田さんと小宮さんは
主催者側の金銭的負担を軽くするために
どうせ南九州へ行くなら…と
日南と宮崎でもコンサートを行うことにしたという
それぞれの地元のバンドと
妙安寺ファミリー・バンドに加え
博多からは『ピエロ』と
まだデビュー前の『甲斐バンド』の参加が決定
門田さんはスタジオで練習を繰り返す甲斐バンドに
ステージで演奏させたいと思っていたそうだ
これは門田さんご自身の体験に基づく考えだったようで…
妙安寺ファミリー・バンドのメンバーが入れ替わる際に
楽器もアコースティックからエレキに持ちかえ
いざステージで演奏してみると
それぞれの楽器の音が大きくなった分
全体のバランスが全く取れておらず
コーラスはおろか自分の声さえ聞こえない等々
練習するだけでは気付かなかった問題が発生したことと
ずっとアコギ一本で照和に出ていた甲斐さんが
曲によってバックのメンバーを変えて演奏することはあっても
それぞれのパートを固定のメンバーで
一からバンドの音を作り上げ
甲斐さん自身もソロの時の歌い方を
変えていかなければならない
といったバンド結成にまつわる問題は
ステージで場数を踏まないと解決しないと思ったという
甲斐バンドとしてのステージ経験が全くなかったのは
デビュー前とはいえ、プロとしての制約があったために
軽々しくステージに立てなかったからだったようだ
福岡ではなく南九州ならばと了承されたという
その時の演奏がどんなだったかは判らないけど
貴重な経験になったことは間違いないと思います
余談ですが…
妙安寺5名、ピエロ4名、甲斐バンド4名に
小宮さんが加わった総勢14名は
宿泊費節約のために連夜、夜行列車に乗ることになったようだ
真夜中の博多駅にメンバーが三々五々集まり
手に手に夜食を持って汽車に乗り込む
団体行動が苦手な人種である(笑)という言葉と
若さゆえクリア出来た過酷なスケジュールだったけど
みんな無事で良かった…という一文に
門田さんの苦労と人柄がしのばれます