4月7日その2 | ボクの奥さん

ボクの奥さん

ボクの奥さんは、半世紀に渡る甲斐よしひろさんファン。このブログは、主に彼女の『甲斐活』について綴っております。

1979年の春
【HERO】をひっさげてのツアー

まだスタンディングが定着しきっていない頃…

ずっとライブにこだわって来た甲斐さんが
当時ステージ上で感じていたのは…

ホントに俺たちの思いが伝わっているのか?
俺たちの本気が判るか?

という叫び出したくなるほどの
情熱と苛立ちだったみたいだ


四国では警備員が興奮した観客を殴っているのを見て
客席に飛び降りたそうだ


そして4月7日の山梨県民会館では
甲斐バンドのライブ伝説のひとつ『客席ダイブ』があった

山梨県下の高校生には
『コンサートに行ってはいけない』
という規制が下されていたらしい

それでも会場には8割以上の観客が来場したという

ただ、この日の観客は
大声で歌ったり叫んだりすることなく

1曲1曲を静かに聴いて
長い拍手を返していたようだ

甲斐さんいわく…

静かなんだ、客が…
まるで海みたいだった

俺は、あいつらを飛び越したかっただけなんだ
一番後ろのヤツまで…

俺はやった、本気で
お前、この汗が見えないのかって…

あいつらは俺が飛び降りた時に
初めて本気になった

俺は、あいつらを遠いところに
連れて行ってあげる義務があるんだよ

だから俺はステージから飛んだ

その時に何の混乱も起こさず
あいつらが本気で熱くなったのを見て
とろけるほど嬉しかったね


また、別のインタビューには

俺は嬉しかった
みんな、こうして来てくれた

本当にジワーときた
嬉しさを表す言葉もなくて飛び込んでしまった


その時の甲斐さんの中では
どちらの思いも本当だったのでしょう


俺たちのハートを見たいのなら
ステージに来て欲しい

俺たちの核心に触れたいのなら
ステージに来て欲しい

どんな町、どんな場所でも
同じ量の汗を流していきたい


当時の甲斐さんの口癖からも
ライブに対するひたむきさが伝わって来ます


26歳になった甲斐さんが
秋ツアー初日のNHKホールでのインタビューで…

26歳の今の俺を出せれば、叫べれば
それが今の俺の歌になっている


50歳になって誰も聞く人がいなくなってね

それが女房とガキだったとしても
一生懸命歌うと思うんだ、その時…
とおっしゃっていました

50歳どころか60歳になろうとしている今もなお

ライブをやり続けていることがスゴイ!!


音楽がイヤになったら
いつでも辞めてやると思ってた

そういうヤツの方が続くのかも知れない

続けようという意思は
何かをまんべんなく我慢しながら

自分の気持ちをまとめていこうとするわけじゃない?

世間と折り合いをつけることで続けるのは

表現としてはエッジがない考え方なんだよね


40歳くらいから
なかなか辞められないなと思い始めたという甲斐さん

再結成の度にサポートメンバーも含めて

誰も辞めてない…というか
辞められなかったっていうのが

ホントのところかも知れないけど…(笑)
と話されていました


でも、奥さんいわく…

甲斐さんは20代の頃から
ユーミンや俺たちは、この国で初めて

年齢を超越して音楽をやり続ける最初の世代なんだ

って言ってたよ(笑)

まあ、私も自分がこの歳になっても
ライブに通ってるなんて想像してなかったけど…(爆)


数年前に甲斐さんいわく…

モリシゲさんみたいに長生きして
みんなの憎まれっ子になってやる!(爆)

とことん世にはばかって頂きたいですね♪(笑)