坂本龍馬最近西鋭夫がいろいろ言うよな | 愛国婦人会 From神戸

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竜馬なんやが前にいくつか書いたけど竜馬は誰がやったんやっちゅう部分はこれ戦後教えてはいけないモノに入ってるというか起きたんが江戸末期やからそのずっと前から坂本龍馬っちゅう人物の事をずっと隠しておきたかったんやろうと思うんよな、竜馬と言う人物その物がずっと隠されて来た、司馬遼太郎が大きく扱ったのが最初やと聞いたけどそれまで誰も竜馬なんか知らんかったんやからなあ、関係者の誰1人共何も言わなかった、まああの時代はホンマ激動で京都は危険なとこやった、ずっとずっと斬り合いばっかやるんやから庶民は危なくて仕方がなかった時代、一般庶民にはどうする事も出来なく政権の取り合いで皆が殺し合いしてるんやから物騒な京都やった、なんせ天皇がおるんやもんなあ、でよく言われるのが薩長か幕府側かなんやけど其ればっかやんかあ、誰が斬ったのかではなくどの組織にやられたのかが大事なんやがそこはあんまり問われんのよな、で戦国時代のキリシタンの事を隠してるのと同じ様に竜馬を斬ったのは誰かちゅう映画までいっぱいあるんやがワシに言わせればそれはもう真実を隠すためにああいう映画をやってる様にしかわしには思えんわけや、「なぜ信長は明智に討たれたのか」とよく似てるわけ、「なぜ竜馬は暗殺されたのか」、前者はポルトガルとスペインの親玉A側で後者が親玉B側のイギリス、で宗教はお互い敵対関係やったりするんやが薩長と幕府しか言わんのやからそらアわからんよな、イギリスが薩長でフランスが幕府支援、で2つ共当時はフリーメイスンなわけや、国家は違うけど中心勢力はどちらも同じ、日本に内戦を起こして国を破壊させるつもりやったわけや彼らは、でそれを手前までお膳立てしたのが竜馬、とまあこういう事実があるわけ、で竜馬はこの「薩長幕府イギリス3つの組織の中心にいた」わけ、で3つの組織全てから恨まれた、とまあこういう事なんよな、だって内戦は回避させるし薩長と幕府両方で連邦政府にするつもりであったちゅうのもあるんですべての組織から睨まれた、ただあちこち走り回ってるうちに段々と周囲の思惑がわかってくる、皆の立場がわかってくる、竜馬は人を使うのに長けていた、勿論全てが上手く行くようにやってたんやがなんせこの薩長と幕府の後ろの事を全く言わんから誰もわからんわけや、竜馬は高知の出であそこは結構お殿様が厳しかったらしいんよな、身分制度が厳しかった、当然竜馬は倒幕に走るわけやが事情を知れば知るほど危険を感じてたわけで薩長と幕府がここでやってしまえば連中の思うままに事が進んでしまい内戦に疲弊した日本はやがてイギリスに食われてしまう、植民地になってしまう、それを見抜いていた竜馬は頭がええと言うかきっと人生の目的が銭ではなかったんよな、あれだけの銭を作れたんやからそれは竜馬1人の力ではない、勿論イギリス、普通やったらそのまま連中と手を組み信長のように外国と手を取って自国を売る「売国奴」になるはずやったのに結果は何と内戦はぎりぎり回避、慶喜が身を引き内戦は回避し小規模の争いで終結、武器だけ残ってそのまま新政府樹立になってイギリスは失敗したわけや、この時の土壇場での内戦回避はまさしくウルトラ級の世界に残る歴史的快挙なのだ、皆よその国はこうやって植民地にされた、弱小国家には堂々と占領、そう出来なければ内戦を起こし国家を疲弊させ乗っ取る、他の国は全部それでやられてしまったが日本はならんかったわけ、だから竜馬の功績はしっかりとある、国を救った超大物、ワシはそう思っている、連中は竜馬を利用してたつもりやったんやがいやいや竜馬はその上を行っていた、「連中の思惑を見抜いていた」、だから連中は竜馬を「裏切り者」と認識した、薩長には連合させたが戦闘は出来なかった、幕府には討幕派のトップとして認識され3方全てから恨まれた、日本の為と言う思いが薩長幕府には足りんかったんやろなア、けどそれやったら薩長と幕府側隠す必要あるのかねえ、切られるのは当然であると言う部分で隠さんかったと思うんよなだって元々脱藩浪人でイギリスと通じてたから皆も話を聞いたんよな、けど所詮商人の出でやったところでどこかの大物が出てくるわけでも無いし隠す事は無いと思うんよな、あの留学に行った長州ファイブとか怪しいんちゃうンか(笑)、竜馬を利用し日本を乗っ取るために薩長を使い幕府を倒すために動いたイギリスとフランスの思惑が途中までは良かったけど内戦に持っていけなかった大失敗は竜馬やと、わしは竜馬をやったのは「イギリス」と思っているそしてそれは薩長の手でやったとわしはそう思っている、内戦を止められた薩長と内戦を失敗したイギリス、まあ周り皆敵状態になったから、けど後の明治政府を運営した人達の中にいるやろなアそれを皆で隠した、と言うか完全にいなかったことにされた、当時はそう認識されたんやな、まああの時期切られたのは竜馬だけではないからな、いっぱい死んだわけで、けどまあ隠しておこうと、けど昭和の終わり頃になって司馬遼太郎が書いた、とまあこういう事やな、ただ不思議なのは竜馬がいったいどこでそんな連中と関わったのかグラバーとかなあ、それはどこを見てもわからんわけや、大体想像するしかないよな、長崎なんかねえ、昔テレビで長崎犯科帳ちゅう番組があってYTで見れるんちゃうかなあ、子供の時再放送を夜中にやっていてずっと見てたなあー、。