『言うなかれ 君よ 別れを ~夏が来れば思い出す、大木惇夫のこと、久世光彦のこと~』 | 地方都市は死なず! 滝沢いっせい ブログ爽創通信  *09016693890*kpissey@rf6.so-net.ne.jp*

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上越市議会議員滝沢一成のブログです! 日々感じたこと、考えたことを、できるだけ素直に書いてゆきます。
滝沢一成のテーマは「雪」「老い」「貧困」、これらを追及します。

大好きな詩があります。
こんな詩です。

戦友別盃の歌」 南支那海の船上にて
            大木惇夫

言うなかれ 君よ 別れを
世の常を また生き死にを
海ばらのはるけき果てに
今や はた何をか言はん

熱き血を捧ぐる者の
大いなる胸を叩けよ
満月を盃(はい)にくだきて
暫し ただ酔ひて勢(きほ)へよ

わが征くはバタビヤの街
君はよくバンドンを突け
この夕べ 相離(あいさか)るとも
かがやかし南十字を
いつの夜か また共に見ん

言うなかれ 君よ 別れを
見よ 空と水うつところ
黙々と雲は行き
雲はゆけるを

…という詩人大木敦夫の作品です。

夏が来れば思い出す…何を思い出す?

この詩を、大木惇夫を、戦争を、そして久世光彦を。

詩人大木惇夫(1895〜1977)は戦争中、従軍作家として徴用されました。
その時つくったこの詩があまりに愛唱されたため、戦後、戦争責任を問われ詩壇を追放されました。高村光太郎も斎藤茂吉も戦争賛美の作品をつくっていたのに、追放されることはなかった。なぜ大木敦夫だけがそのような目にあったのか私はその真相を知りません。

大木敦夫のその後は・・・消え去った?
いいえ、彼は歌の世界で生きました。
合唱を愛した人ならだれもが知っている「大地讃頌」も彼の作詞です。

「母なる大地の ふところに
我ら人の子の 喜びはある
大地を愛せよ 大地に生きる
人の子ら その立つ土に感謝せよ
平和な大地を 静かな大地を
大地を褒めよ 讃えよ土を」

上越の学校の校歌も作詞しています。

新潟大学付属高田中学校校歌。

「緑輝よう頸城野に
望みはさやけし集えり我ら
楽しや我が学び舎」

上越市立城北中学校校歌。

「白妙輝よう 妙高の
峰には気高き 啓しあり
希望の青空 かけ行かん
城北われら 若人 われら」

戦争詩で詩壇を追放された大木ですが、生涯命の尊さ、若人への賛歌を歌い続けました。

大地讃頌の歌詞は、戦争から命からがら帰ってきた兵士が故郷の土を手にして、再び生きようと決意する、そんな情景ではないかと勝手に解釈して歌っていました。強ち間違ってはいないのではないかと思っています。

大木敦夫は決して戦争を賛美したひとではない、知っておいて良い歴史です。

そして久世光彦さん(1935〜2006)。

もう50年も前TBSドラマ「時間ですよ」などで一世を風靡、その後作家としても活躍した方です。
縁あって少しだけ仕事をさせていただきました。
1990年代、なんと言ったか「昭和シリーズ」だったか…太平洋戦争の真っ只中市井の平凡な家族(戦地に出征した夫を待つ妻とその娘たちなど)を描いたドラマを毎夏のようにつくっていらっしゃいました。

そのなかに、ずばりタイトルが「言うなかれ、君よ、別れを」(1996年/TBS)という作品があります。
私は、そのドラマで、また後日談としてのエッセイで先ほどの大木敦夫の詩を知りました。
そして忘れ得ぬ詩となりました。

久世さんもまたさまざまな作品を通して「生きるということの素晴らしさ」「それを踏み躙ろうとする戦争の理不尽さ」を問い続けてきたひとだと私は思っています。

まだ7月になったばかりですが、私は「夏は死者たちと会話する季節」と思っています。

ウクライナ戦争はじめ、中国の覇権主義、東アジアの緊張、ミャンマーのクーデター…それらを目の当たりにし、平凡ですが、やはり戦争や弾圧はいけない、平和を守り抜かなくてはならないと思うのです。

ではその為に何を為すべきか。
私たちの目の前には、例えば憲法を改正するのか護るのか、自衛力を増強するか抑止するか、原発を再稼働するのか無くすのか、衰微する一方の国力をどうするのか、さまざまな問題があります。

死者たちだけではなく、さまざまなことどもを、目を逸らさずに考えなくてはならない困難な時代に私たちは立っている気がします。