視察報告 遠野市「災害時における後方支援について」 | 磯山亮オフィシャルブログ「きっと未来は、なぜから始まる」Powered by Ameba

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岩手県遠野市で、災害時の後方支援について行政視察をさせていただきました。
東日本大震災時に、沿岸被災地への後方支援の拠点として機能した遠野市の取り組みとして、構想を考え、平成19年、平成20年には、自衛隊を交えた防災訓練を行ったことが、実際の震災時に役にたったということです。

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平成23年に完成した防災センター

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大震災発生後、14分後には災害対策本部は、遠野運動公園解放を指示しています。市長はすでに誰よりも早く防災服を着ています。

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また、様々な体験に基づくお話の中で、現場での対応をしようとした時に、法律の関係でなかなか前に進めることができないことも、あったそうです。

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とくに予算関係に関して災害救助法に明文化されていないことにより、対応を素早く取るための足かせになったとのお話も。

課題としては、様々な団体が支援のための拠点として遠野市に入ってきたが、横の連絡調整が早い段階では十分ではなかったとおっしゃっていました。
しかし、連絡調整会議を立ち上げてからは、各団体から、支援ニーズの聞き取りや市への要望を汲み取ることが出来、非常に効果的な支援に繋がったようです。


そして、震災から平成25年9月には「遠野市後方支援活動検証記録誌」を発行。

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様々な分野を検証し、良い点、課題が詳細に書かれており、非常に参考になります。
なかでも、「平時における顔の見える関係が有事の迅速な支援行動へと結実 木曽自治体間のヨコの連携「水平連携」の有効性を証明」と、自治体間の水平連携について取り上げられている箇所が有ります。

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小平市でも、多摩26市3町1村との防災協定や、友好都市の北海道の小平町、また、富山県小矢部市、岡山県井原市(平櫛田中先生のご縁)、埼玉県狭山市など他県の都市とも災害時相互応援協定を結んでいます。

小平町に関しては、議会からも年に一回親善交流とし、議員を派遣することで友好関係を深めています。しかしながら、小矢部市、井原市などとの直接の交流は議会としては有りませんし、市でも行っていないと思います。

日ごろからの友好関係の重要性を考えると、市として今後どのように関係構築をしていくのかを具体的に考えていただきたいなと思います。
個人的には、平成24年の12月定例会で井原市との防災協定について、日頃の友好を深めることの重要性から以下のように質問しました。

【磯山質問1】 
井原市との防災協定について。
井原市との防災協定について、締結の経緯と内容についてお示しください。

【市長答弁】 
井原市との防災協定締結の経緯でございますが、東日本大震災のような広範囲にわたり甚大な被害が発生した場合におきましては、同一地震による被害が及ばない自治体からの応援が有効であることから、遠隔地の自治体と相互応援協定を締結することが必要であると判断いたしました。井原市は平櫛田中の生誕の地であり、本市は終えんの地であり、両市の名誉市民でもあるというゆかりがございますことから、本年3月に協定を締結いたしました。協定の内容につきましては、災害時の職員の派遣や食料、生活物資の提供、市ホームページの代理掲載による情報発信などの6項目について締結しております。

【磯山質問2】
防災協定締結を機に、交流を積極的に行う必要があると考えるが、いかがでしょうか。

【市長答弁】
 防災協定をきっかけとした井原市との交流でございますが、既に姉妹都市として小平町との関係が深まっており、他の地方公共団体との関係を新たに構築する場合には、交流の目的を初め、双方の費用対効果や実施体制などを十分に考慮し、慎重に検討する必要があると考えております。

と、慎重に検討するとは、基本的にやりませんといったことなんですね。これ。
実際、井原市に防災協定締結以降、市長も行ってないでしょうし。少なくとも平成24年の12月の段階では行ってないようです。ちなみに、政和会では、平成24年の会派視察にて、井原市を訪問しました。できれば、市民も含めた何らかの交流、平時であれば文化交流をすることも、必要ではないかと思います。

【磯山再質問】
井原市との防災協定については、先ほど御答弁いただいたように、私も、遠隔地との防災協定というのは、バックアッププランとしては有効かなということで訴えさせていただいておりましたので、これにつきましては非常によかったなと思っております。
 協定締結以来、例えば市長と市長だったり、市のどなたかとどなたかでお会いになったりとか、実際に先方と顔を突き合わせたことはあるでしょうか。

【市民生活部理事(武藤眞仁)】 締結に当たって、できれば市長同士で調印式をやりたいというような御提案もさせていただいたんですが、私どもの市長が井原市に行くというのもなかなか難しく、また、向こうの市長が東京事務所へおいでになったときにというようなお話もするんですが、なかなか機会がなくて、市長同士はまだ会っていません。我々の担当レベルでは一度向こうの方とお会いして、懇親を深めた経緯はございます。

【磯山】 わかりました。市長も忙しいでしょうけれども、機会がありましたらぜひお会いしてお話しされるといいかと思います。
 井原市に行ったときに、防災協定の件も先方とお話しさせていただいたんですけれども、井原市のほうも、もっといろんな交流をしようよということはおっしゃっていましたので、その辺は積極的に働きかけていただければと思います。

ご興味の有る方は、小平市議会議事録をご覧いただければと思います。

井原市に限ったことでは有りませんが、お話を聞かせていただき、よりリアルに災害時をイメージしてみた時に、どういった支援が必要か(相互協定を結んでいる双方にとってという意味ですが)、受け入れは?窓口の人間関係は出来ているのか?情報の取り先は?そもそも支援に行く街について訪問することによってイメージしておく必要がないのか?など検討点が沢山浮かんできました。


さて、話を視察に戻します。
最後に、ある一つのエピソードを聞かせて頂きました。
 当時、遠野市では、粉ミルクを市で管理し、何日か分を遠野市内で必要な方に配るといった形を取っていたそうです。そこに、沿岸の山田町という被害を受けた町からわざわざ山を超えて、遠野市にミルクを貰いにきた一人のお母さん。
当然、配っていた粉ミルクは、遠野市の市民のためのものです。市民にも、一回何日分を渡すとルールをみんなで決めています。
そんな時、みなさんならどうしますか。
みんな苦しいのだ、みんなで決めたルールを守ることが公平だと考えるかも知れません。
決まった日にち分のミルクを渡すんだろうと思います。
しかし、担当の職員さんは、そのお母さんに一缶の粉ミルクを渡したそうです。

部長は言います。
「その職員さんは、ルールを破りました。そのこと自体は、自分たちの決めて来たルールだから、破ることは、相当な覚悟が必要だと思うし、当然ルールを破りたくはないんです。責任を問われる可能性だってあります。粉ミルクを1缶渡すといった判断をすることは、職員さんにとっても非常に辛いことです。
でも、遠野市をでて、再び被災地に帰っていった後に、充分な粉ミルクを手にすることは容易ではない状況が、簡単に予測できる当時の状況のもと、泥だらけの姿で、山一つ超えて来たお母さんの姿をまえにして、せめて1缶のミルクを持たせてあげたいとの職員さんの思い。
粉ミルクを1缶渡すといった判断をすることは、職員さんにとっても非常に辛いことです。でも様々な批判を受け止める覚悟でその職員さんは決断しました。」

部長は、話の最後には、こみ上げる涙を抑えきれず泣いていました。
「この話は、ちょっとだめなんだよね」

さて、小平では議会基本条例で、議会の災害対応についても、検討課題であり、その観点からも様々な質問を会派の先輩もされました。
しかし、実際経験された部長さんの話によると、東日本大震災の際、素早い対応が出来たのは、市長のリーダーシップ、とくに政治生命をかけて判断をしてきたことによるそうです。
エピソードの件も含め、災害時においては、その時々で様々な判断をすることになりますし、時間的余裕がない中で、自治体の意思決定を素早く行なうことが必要です。
現場レベルの詳細の判断を直接行なう必要はないにしても、早急に大まかな方針を、市長が市民、職員に関して明確に打ち出すことの必要性を指摘されていました。
そう考えれば、本田市長でなければ、それ以外の状況、つまり、同じインフラ、同じ住民であっても、結果が違っていた可能性が高いのではないかと感じました。
防災に限らず、未来を見据え、自分の政治生命を顧みず、市民のために決断を行える人に、市長であってほしいと思います。

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