見捨てられた業種 | 金沢相談役の”ウルトラあやしい”よもやま話

金沢相談役の”ウルトラあやしい”よもやま話

人生1回きり、あと20年で終わり。残りの人生はオマケ。

1971年ドルショックがおこり、日米繊維交渉妥結。米政府は沖縄返還を

決定した。繊維産業被害救済金として1278億円が空洞化による

過剰設備廃棄費としてばら撒かれた。

なんと当時花形の繊維産業をつぶすための補助金が計上されたのだ。

逆だろう、普通・・・。


同時に労働集約型から知識型への移行を繊維産業に指示し、繊維生産設備

の自動化やプラント化に使われるはずであった・・・。特定の企業は恩恵を

受けたようだが・・・。


要は沖縄と交換に繊維産業の保護政策は終わったわけだ。そのときなんで

自動化を進めてコスト競争力をつけなかったのか。工程が職能にわかれて

編みたては編み立て、縫製は縫製だけというふうになってしまったのか・・・。

繊維産業には偏った知識しかないスペシャリストはいるが、全体を見れる

ゼネラリストはいなかったということだ。


おしい、日本・・・。


当社のテーマであるニットの自動化設備開発、がんばります。