コロナ 油断大敵ですよね!

     まだまだ気を付けなければなりません‼

 

 

 

    千代子さんからカラスウリ(烏瓜)のお花の写真を

                送ってきてくださったのですよ。

 

 

夜に咲き朝には萎んでしまう。香りが良い。とのことです。

 

私はカラスウリのは見てますがは見てないんです。

昼間はしぼんでるのですから、「然(さ)もありなん」です。

 

 

 

        図鑑からお借りしました

 

 

       ※☆※☆※☆※☆※☆※☆※

 

          群馬県沼田市

 

私は長いこと、東京と山にある仕事場とを振子のように往復している。

    生方たつゑ「真田窓のある家」(1983年)

 

JR沼田駅前から延びた坂道の先に、高さ約80㍍のが立ちはだかる。沼田河岸段丘の街。西は利根川、南は片品川、北は薄根川が約10万年前から大地を削り、階段状の地形が生まれた。慶長年間、その台地上に本格的な城下町を作ったのは真田幸村(信繁)の兄・信之。

城は高い場所、町はその麓に開くのが当時の通例だったが、

信之は地形をすべて頭に入れ、天然の要塞である段丘崖に囲まれた段丘面の中に、ぴったりはめ込むように城と城下町を築いている。

 

 

 

   沼田市の雨乞山から同市と昭和村の境にある

   片品川沿いの河岸段丘を望む。

 

 

信之の妻・小松姫が眠る正覚寺、五層の天守を誇った沼田城址。沼田市内からは深田久弥の「日本百名山」のうち、谷川岳、武尊(ほたか)山、皇海(すかい)、赤城山の4山が眺められる。

 

 

 

 

 大正末期、旧家の生方家に嫁いだ生方たつゑは駅と町を

 結ぶ段丘崖の坂を「滝坂」と随筆に記した。

 

 

 

 

嫁と妻の務めに追われる中、短歌に救いを求めて月1回、朝1番の汽車で指導を受けに上京した。昨年94歳で逝去した一人娘の料理研究家、美智子さんは母が幼い自分を連れ、滝坂を下った記憶を著書「母とのたたかい」で回想している。

 

<冬やまの痩せたる襞(ひだ)におきわたす

        寝雪の光きびしこの国>   生方たつゑ

               第2歌集「雪明」から。

初期の歌には故郷の伊勢と異なる冬の厳しさを詠んだものが多い。地元の人は当たり前と感じる雪を、情景が浮かぶように描写する。

 

 

<愛さるるため絶対に愛するなと

      そそのかしきて夜の坂に立つ>  生方たつゑ

 

たつゑ先生の歌を一番理解してたのは美智子先生でした。

 

 

生方(うぶかた)家はかつて沼田藩御用達も務めた薬種商だった。母屋は1970年に国の重要文化財となり、73年に沼田公園に移築された。

 

<幾百年興亡に耐へて凩(こがらし)

        ききしや紋章の雪の傷痕>  生方たつゑ

夫の誠(せい)と守り抜いた家との別れを、連作「古い紋章」で数多く詠んだ。

 

 

 

 

旧久米家住宅洋館は沼田出身で土木事業や葉巻の製造販売で成功した実業家、久米民之助が東京に建てた。故郷に移築され今年4月から公開されている。旧藩主・土岐家の洋館も東京からされたもの。

 

インバウンド(訪日外国人)で賑わう「吹割(ふきわれ)の滝」。「河岸段丘カフェ」からは赤城山と河岸段丘がよく

見える。

 

 

 

 

 

 

  (2024・7・21 よみほっと 旅を旅して から)

 

 

  今日も冷房の効いた部屋でゆっくりしておりますよ。

 

 

    今夜(8時半)のお月様も美しいです!!