昨日、私の親友;正子さんご逝去間近に入院先へ会いに行った折の事を認めました。お嬢さんにブログに書いてることをお知らせしましたら、嬉しいメールを頂戴したのですよ。
「涙が・・・母は悔いのない人生だったと言ってくれました。私も最期にそう思えるよう、日々過ごしていきたいと思います。希望を持って毎日頑張ります。メールとブログで心が温かくなりました。」
(ブログを書いてることは初めてお知らせしましたの。正子さんには言ってませんでした。🙇)
生きてる者同士、励まし合って生きていきたいものですネ‼
スマホでQRコードをかざしますと、サファリから「旅を旅して」が出てまいります。私は自分自身のためと、スマホが苦手なお方さまに、引き続き転記いたしますね。
香川県小豆島
(とのしょうちょう)
土庄町
障子あけて置く海も暮れ切る
ーーー尾崎放哉(ほうさい)(「層雲」1926年)
<咳をしても一人>
エリートの道を捨て、京都、福井、兵庫と放浪流転。99年前
小豆島・土庄の町に辿り着く。自由律の俳人・尾崎放哉はこの地で、孤独の果ての境地を9音に閉じ込めた。
結核を患い、貧困にあえぎながら、8か月後に没した。人々との交流を極力絶って、独居を決め込む心のよりどころは慈愛深き海だった。
<どんな悪い事を私がしても、海は常にだまって、ニコニコとして抱擁してくれるやうに思はれるのであります>
(「入庵雑記」)
妻とも離れ、放裁が一人眺めた海辺は今、「恋人の聖地」と呼ばれている。1日2回、潮が引くと現れる砂の道「エンジェルロード」があり、神秘的な景色に憧れて訪れる人々が引きも切らない。美しく弧を描く砂の道をたどって島へ着くと、木に結ばれた貝殻が風に揺れ、カラカラ心地よい音を立てていた。
放哉(酒癖の悪さから度々トラブルを起こしたり、人々に金を無心したりした)が暮らした西光寺奥の院「南郷庵(みなんごあん)」は30年前、貴重な資料を集めて小豆島尾崎放哉記念館として復元された。
記念館の前に、<障子あけて置く海も暮れ切る>の句が刻まれた石板がある。揮毫(きごう)したのは、放裁の8か月を
「海も暮れ切る」として小説化した吉村昭である。
放裁が眺めた海。天の川に連なるように、恋人の聖地「エンジェルロード」が延びる。砂の道が現れる時間は日によって大きく異なり、地元では「潮見表」を発表している。
<思ひがけもないとこに出た道の秋草>
土庄の町を巡るうち、放哉の句を思い出した。「迷路のまち」と呼ばれる一帯で方向感覚を失って、自分が「思ひがけもないとこに出た」。土渕(どふち)海峡。
「迷路のまち」蛇行に次ぐ蛇行、三差路又三差路。
「妖怪美術館」4軒。街並みは複雑怪奇の度合いを増す。
▲台風の風よけだと思うが、明確に書かれた資料はない。
▲瀬戸内海の海賊対策ではないか。
方向感覚を狂わせ、相手は槍や刀を十分に振り回せない。
住民側は陰から攻撃できる。
▲南北朝の戦いの舞台にもなった。
▲海運中心の時代は交通の要衝。
▲全国の三角点はほぼ小豆島産の花崗岩。ーーー
島の人々は博識で親切。話が止まらない。海だけの島ではなかったのだよ、 放哉。
(2024・7・14 よみほっと 旅を旅して から)
先日、7月14日一家族と大和市に向かう途中、娘に促され
目をやった先には・・・
中央分離帯でリュウゼツランの茎がスックと空に向かって伸び、花の蕾が両側についていたのです。💓
今年に入って、突然成長を始め6㍍以上の高さになったようです。花がまもなく満開になりそうなのですよ。
その日は車窓からですから一瞬でしたが、昨日、別の場所のリュウゼツランの花の様子をTVで見ることが出来ました。 \(^_^)/
右側です。
真ん中です。