アメリカ・サウスダコタ州のラッシュモアモールに

               行った思い出も懐かしくて…

 

 

殆どの友人が申します「一人住まいの方がいいですよ」。

 

夫は生前、何度も何度も「おかあさんを頼むよ!」と息子と娘達に言ってくれました。その言葉通り、この母のことをいつも気にかけてくれてます。 同居も考えましたよ。

 

ですが、同居してくれる娘とのお互いの気遣いが、逆に時には摩擦ともなり住み心地が悪くなるような事態が起きないとも限りません。

 

近くに住む娘には何かと一番世話になってる現状なのですが、まだ当分はこの状態で過ごしたいと思ってるのですよ。

 

本人が可能でしたら世間一般的に、お気楽独り暮らしが一番良い選択らしいですね。そのためには健康寿命でいなければなりません。現状維持の一人生活ガンバリマスぞよ~

 

淋しい時もあります。やせ我慢してるような気もしますが、どちらを選ぶかは自分次第ですね。 寂しさを紛らわすTV

は有難い代物!! 読書も目が疲れる……ぼんやりとTV

画面を見てるのも良きものです。

 

 

 

 

香川県 坂出市

 

松山の波の気色(けしき)は変(かは)らじを

  形(かた)なく君はなりましにけり左下矢印左下矢印

       ーーー西行「山家(さんか)集」

 

平清盛が太政大臣になった1167年、あるいは次の年かもしれないが、清盛と同じ年の生まれで、鳥羽上皇を警護する北面の武士として同僚だったという説もある歌人・西行は四国へ旅をした。崇徳上皇の墓に詣でて、空海ゆかりの善通寺に参るために。

 

崇徳勅撰和歌集「詞花(しか)和歌集」を編ませ、続く勅撰集の「千載(せんざい)和歌集」では自作の歌23首が選ばれたほどの歌人。西行とはその出家前から親交があった。

 

ところが保元の乱(1156年)で崇徳は、清盛の軍勢が加わった後白河天皇方に敗れ、讃岐(現香川県)に流されてしまう。

 

 

 

 

 

右上矢印右上矢印冒頭の歌の松山は、護送されてきた崇徳が上陸した讃岐

の港。「崇徳天皇御着舩(ちゃくせん)地 松山津」の石碑が高屋根町に立っている。西行は「打ち寄せる波は変わらないのに崇徳院の痕跡は跡形もなくなっている」と詠んだ。

 

さらに南西に約2㎞進むと、江戸時代後期の高松藩主が建立した「雲井御所之碑」がある。崇徳はここに滞在の後、現在

鼓岡(つづみがおか)神社となっている場所に移り、そこで没した。

遺体は白峰山で荼毘に付された。すると煙が麓にたなびいて留まったので、近隣の神社の神官が神社を造営したのが青海神社、別名を煙の宮という地元の民は、この守り神を「上皇様」と呼んでいる。

 

その没後、都では崇徳の敵方だった重要人物が相次ぎ逝去。

大火で内裏が消失するなどしたため、崇徳菅原道真、平将門と並ぶ日本三大怨霊と恐れられた。

江戸時代に書かれた上田秋成の怪異物語集「雨月物語」の一編「白峯」には、西行が白峰山中で魔王さながらの形相をした崇徳と対面する場面もある。

 

それでも「この地域では守り神としておまつりしている」。

境内の頓証寺殿は崇徳の廟所で、その隣が墓所である白峯陵

となっている。

 

 

青梅神社から白峯陵に上る約1・3㌔の参道「西行法師の道」には石灯籠93基と歌碑88基、西行と崇徳の歌が仲良く並んでいる。

 

 

 

崇徳上皇西行が生きた時代、瀬戸内海を渡る旅人は坂出の「松山の津」に上陸した。

四国の玄関口はその後、東の高松港に移るが1988年、瀬戸大橋が開通して坂出は再び四国の入り口となった。

 

大橋の坂出側のたもとにあるのが瀬戸大橋記念公園左下矢印左下矢印

その一角に立つ回転展望台瀬戸大橋タワーでは、地上108㍍から360度のパノラマが楽しめる。

 

北側岡山県の鷲羽山へと延びる大橋、を向くと讃岐富士をはじめとする讃岐の山々。

 

右上矢印右上矢印園内には版画など約350点を収蔵する「東山魁夷せとうち技術館」も立地する。

 

 

坂出駅近くには「四谷シモン人形館 淡翁荘」がある。

1789年創業の鎌田醤油の社長を務める鎌田家が迎賓館として使ってきた1936年築の洋館に、人形作家の作品23本を展示している。

因みに鎌田家の先祖は、讃岐配流の崇徳に仕えるため京都からやって来た鎌田正興という人物で、崇徳没後もこの地にとどまった。館内のそこここに人形が置かれている。

 

西行は白峰山で崇徳の霊と語り合った後、空海の生誕地、善通寺に向かい、庵を結んで3,4年を過ごす。

善通寺の近くの曼茶羅(まんだら)には、西行の昼寝石もある。都の騒乱から離れ、穏やかな日々を送ったようだ。

 

 

 

 

 

 

     (2024・6・9 旅を旅して から)