ブロ友さんがアップなさってた「いろは歌」懐かしく

  て私も出させていただきます。

  20歳の頃、この「いろは歌」が言えなくて少し悔し

  かったことが思い出されました。

 

「いろは四十七文字」    七五調の誦文(ずもん)

 

色は匂へど 散りぬるを = いろはにほへと ちりぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ  = わかよたれそ つねならむ

有為の奥山 けふ越えて = うゐのおくやま けふこえて

浅き夢見し 酔ひもせず = あさきゆめみし ゑひもせす

 

 

       ☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆

 

 

 

 

       

 

 

        四 季

         長谷川 櫂氏 選&解説

       科学者にして歌人;坂井修一 

       最新歌集『塗中騒騒』 から

 

<ちあきなおみ「夜間飛行」をうたふ母

          父でも われでも なき人恋ひて>

今飛び立った街の夜景を見下ろしながら…。ちあきなおみの「夜間飛行」は恋に別れを告げる歌。何もかも忘れてゆく母がこの歌を口ずさむ。「二度と帰らないの」。

 

 

<背を撫でて しづかに父の 呼ばふとも

               母はこの世の をみなにあらず>

年老いて記憶を失くしてゆく人。現代の超高齢化社会は誰の身近にも、そんな人がいる社会だろう。妻に優しく語りかけながら背中をさすってやる夫。しかし妻はもはや別の世界の人である。そう断じるのは息子。

 

 

<ほんたうのこと言へばわれは たらちねを

         ゆだねたくなし このちちのみに>

短いけれど人間には生まれてからの歴史がある。仲睦まじそうに見える老夫婦にも、かつてはいろんなことがあったはず。それを見てきた息子は何十年経とうと父が許せない。

「たらちね」は母、「ちちのみ」は父。

 

 

<そつと手に生卵つつみ持ちあげし

           「弱腕アトム」よ きみが好きだった>

昔々、ロボットは人間の姿をしていた。鉄腕アトムのように。いま活躍しているロボットの多くは人型ではない。手だけ、足だけ、目だけのロボットもある。どれも機能主義の産物。人型ロボットを懐かしむ一首。

 

 

<天(あめ)ならば薔薇星雲になれよかし

            ハッブル望遠鏡めぐる夜>

五千五百光年のかなたに浮かぶ薔薇星雲(ばらせいうん)。その名のとおり赤い薔薇の花のような星雲。星になるならあの星雲になれよ。こんな願いを抱くのは人生のどんなときだろうか。ハッブル望遠鏡は地球を巡る宇宙望遠鏡。

 

 

<水も空気も0、1の列におきかへて

            世はすすむ令和元年葉月>

0か1か。二進法はすべての数を0と1、二つの数字で表す。

白か黒か、真か偽か、正か邪か、賛成か反対か、この二者択一に「曖昧なるもの」の居場所はない。現代のコンピューターが使っているのはこの二進法。

 

 

 

 

 

<がやがやの人間の世ぞ うとましき

          なかぞらあをきカラスの世界>

「なかぞら」は空の半ばを表す不思議な言葉。「なかぞらの雲」というように。カラスたちがたむろするのは青いなかぞらという領域。人間から見るとカラス界はカアカアとうるさいが、ガヤガヤの人間界よりマシ。

 

 

<馬場あき子の大噓(おおうそ)ひとつ九十九里

          わが土下座して妻問ひせしと>

九十九里浜で土下座してプロポーズしたのよ。馬場あき子さんは酒井夫妻の短歌の先生。嘘か誠か、時代がかった壮大なシーン。人間、嘘にはしばしばだまされるが、大嘘にはなかなか騙されない。楽しむのみ。

 

 

<なにかよきことをしたかと夭折(ようせつ)

            友語りかく雲のかがやき>

「どんなよきことをしたか」なら無垢(むく)の質問。ところが「なにかよきことをしたか」となると異なる。そんなに長く生きて「よきこと」は何もしていないじゃないかと、なじるかのような詰問。時々現れる友の幻。

 

 


 

 

佐賀県 有田町

 

<ものの創造されてゆく秘密の不思議さと、歴史をかさねて堆積されたものの重々しさを感じさせた>  日野葦平(1951年)


有田町で明治初期から製造販売を続ける「香蘭社」の

深川祐次社長「有田焼は昔から各工程で分業が進み、

それぞれに優れた職人がいることも有田焼の魅力」。

 

人々が求めるものに応じてきたからこそ有田焼は400年続いてきた。

 

 

 

有田焼の初期を代表する窯だった「天狗谷窯跡」。階段状に連なるように造られた登り窯の遺跡は、日射しが当たると鮮やかな赤色を見せた。

 


 

 

有田焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に肥前の領主・鍋島氏が現地から連れ帰った陶工・李参平(金ヶ江三兵衛)が1616年に有田の泉山で白磁鉱を発見、日本最初の磁器を焼いたのが始まりと地元では伝わる。ただ、白磁鉱山をいつ誰が発見したのか実はよくわかっていない。伝説で彩られた部分もある。

 

有田の自然から生まれた。薪となるアカマツの林があり、近くを流れるは白磁鉱を小さく砕くための水車に利用された。山の斜面もうまく利用し、小さな窯をいくつも階段状につなげ、下から上に向けて効率的に焼く登り窯で大量生産にも成功した。

 

江戸初期に造られた登り窯が李参平ゆかりの国史跡「天狗谷窯跡」として残る。斜面の長さ50㍍以上、幅3~8㍍もある

遺跡。

 

①乳白色の地肌に赤、青、緑などで彩色した絵画のような

柿右衛門様式=江戸期の欧州で好まれた。

 

①青みがかった白い地肌に精密な文様を施した鍋島様式=

幕府や大名への献上品となった。

 

現在の生産品は安価な器からタイル、絶縁体まで様々。

 

 

 

「濃(だ)み」と呼ばれる伝統的な染め付け技法は昔から女性が担っている。

 

焼き物の町は名水の里でもある。竜門峡渓谷の水は「名水百選」に入っている。

 

 

 

 

 

 

  (2024・5・12  よみほっと 旅を旅して から)

 

 

 

香蘭社の食器

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました!