手招きあり、「お湯割りを作ってくれ」
そして「飲め」と合図する
何度かコップを愚妻の方へとづらしてne
肉じゃがのおじゃがを「旨い」と一片食す
どら焼き なんと半分完食
夫 亡くなる81日前の朝の出来事です。
心臓の僧帽弁他四つの弁は役立たず、
気力で生きてる時期でした。
「カシコ(賢い人)に教わるぐらいアホもできる。アホから学べるのがほんまもんのカシコ」 BY 森 敦 ⤴
2021年5月10日
長谷川 櫂氏 選&解説 「四 季」 から
<象の眼>と妻が言いたり<象の眼>は
疲れ切ったる時のわれの眼 奥村晃作
波寄せる皺の奥に潜む象の眼。春の陽を浴びてまぶしそうにこちらを見ている。的を射た伴侶の指摘に「ああ相当疲れているな」とは作者の自重の言葉だろうか。優しい眼でもある。今井聡著『ただごと歌百十首 奥村晃作のうた』から。
群青(ぐんじょう)の海原割れて鯨の背 筒井慶夏
海中深く潜ったかと思うと、思わぬところに姿を現す鯨。その豪快さも見る人の驚きも「海原割れて」という言葉に託されている。作者は終戦直後、徳島県で生まれ、20代半ばに沖縄に移住、紅型染を習ったという。句集『交叉』から。
笑わせて声尽きるまで笑いいる
明石家さんま さみしくないか 市川正子
テレビは間を許さない。少しでも声が途絶えると「何かあったの」と視聴者を不安がらせると思っているのだろうか。そこでお笑い番組の出演者は絶え間なくしゃべり、絶え間なく笑いつづける。その声が嗄れるまで。歌集『風越』から。
鞦韆(しゅうせん)に女座りて漕ぎもせず 北川玉樹
ブランコ(鞦韆)は子ども達が漕いで遊ぶもの。そう思い込んでいると、こんな句に出会う。さっきから一人、ブランコに掛けたまま漕ぐでもなく、かといって立ち去るでもない。宙を漂う、もの思うための座席。句集『青年記』から。
おほかたに花の姿を見ましかば
露も心のおかれましやは 藤壺
父の帝の思い人との恋。こんなはらはらさせる話が次々に展開するのが『源氏物語』。桜の宴で光源氏の舞い姿をまともに見られない藤壺中宮。あんなことさえなければ、心ゆくまで眺めたのに。既に光源氏の子を産んでいた。花宴(はなのえん)から。
春囲炉裏 忘れた頃に 爆(は)ぜる音 榎本弘光
春まだ寒い頃に焚くのが春の炉。この句の春の囲炉裏もそうである。あかあかと燃える冬の炉と違って、火があることにさえ気づかないこともある。「忘れた頃に」とは、そんな春の炉のかすかな気配を伝える言葉。句集『鮎時(あゆどき)』から。
長き日の海人(あま)の たく縄うちはへて
千尋(ちひろ)の海に霞(かすみ)たなびく 藤原家隆
「たく縄」は、木の皮を綯(な)い合わせた丈夫な縄。漁師が舟の上から深い海底へ垂らしている、あるいは引き上げているところか。春霞の海原にきらきらと輝く。鎌倉時代初期の歌人藤原家隆の家集『玉吟集』(和歌文学大系)から。
道の道とす可(べ)きは、常の道に非(あら)ず。老子
「これがあなたの行くべき道ですよ」と世間でいう道は、ほんとうの道ではない。では道とは何か。老子は二千五百年前の中国の人だが、一貫しているのは「人間どう生きたらいいのか」という根源的な問い。蜂屋邦夫訳注『老子』から。
なつかしいあなたのこゑをわが裡(うち)に
ひびかせて読む葉書一葉 桜川冴子
文字より先に声があった。どの文明でも人の声を形にして書きとめたのが文字である。そうであるなら文字を読めば声が聞こえなくてはならないが、そんな文字にはなかなか出会えない。これは心のこもった一枚の葉書。歌集『流』から。
俺の顔すなはち親父青山椒 西川東久
人間の顔は歳月とともに変化する。若い頃の容貌や色艶を懸命に保とうとする人もいるが、時間の威力を認めるのも一つの選択肢。そうして自分の顔の中から現れる父親や母親の顔。時間との停戦の境地だろうか。句集『天塵』から。
草の戸や春ををしみに人のくる 正岡子規
東京根岸の子規の家。交際家の主人のもとにはいろんな人が訪れる。年譜をみると連日、誰来る彼来ると忙しい。春ののどかな一日。みな行く春を惜しみにやってくるのだと眺めているのは、世の中を俯瞰する人の視点。『子規全集』から。
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