そぼ降る雨に濡れた歩道

 

 

 

 

4月24日の満月は雲に隠れて見られませんでしたが、この満月の日に、我が家では赤ちゃん誕生の朗報で賑わいました。

孫よ! でかした(出来した)でかした(出来した)!! キューン飛び出すハート

 

 

     ホテルのような産院の食事ですよ。

 

 

         朝食はバイキング

 

 

 

         昼食はコース料理

 

 

 

         夕食の和食です

 

      ☆※☆※☆※☆※☆※☆※☆

 

         昨日の椅子体操

血圧測定では低めです。「頑張らないことを頑張って!」と中村看護師さんに促されました。

元々ハードな運動ではないので全て行ってしまいましたが、

首に巻いたハンカチと、もう一枚のハンカチの二枚が汗でぐちゃぐちゃになってしまいました。体調がよくないときは、

汗として体が反応してくるようです。ですが、無事に一時間を終え、帰宅できましたよ。帰りのヒョコヒョコゆっくり歩きには目を瞑り、心中は満足しておりました。

 

 

 

 

奈良県橿原(かしはら)

今井町

この建物は、人々の間に自由な精神が溢れている時代に建てられたにちがいないと、

私は感じていた。

        伊藤ていじ「民家に学ぶ」(1982年)

 

近鉄の八木西口駅を出て飛鳥川を渡ると別世界が広がっていた。角を折れても折れても古い民家が続く。

 

1954年4月1日、東大の助手だった32歳の伊藤鄭爾(ていじ)は奈良県今井町(現・橿原市)を民家の調査で訪れ、一軒の家と出合う。雨に濡れた屋根はゆがみ、瓦の隙間に雑草が生えていたが、建設当初の豪壮さを思い浮かべることができた。

 

当時を回想した文章は、一般に民家は外観を地味にして内部に凝るのに対し、これは「つっぱりすぎた」建物であり、「自由な精神があふれている時代に建てられたにちがいない」と印象を記す。

 

屋根裏に残る棟札から棟上げは江戸初期の慶安3年(1650年)と分かる。57年、この「今西家住宅」は国の重要文化財に指定された。

 

 

 今西家住宅。「八つ棟造り」とも呼ばれる重厚な建物。

 手前は復元された環濠。

 

 

 

 

東大による学術調査で、今井は中世の街割りに江戸期以降の民家が残る町として注目された。

室町時代に本願寺の門徒が環濠(かんごう)と土居(どい)で守る寺内町を形成。織田信長に降伏後は自治都市として栄え、「海の堺、陸の今井」と称された。今西家は惣年寄の一つとして裁判権も与えられ、広い土地はお白洲として使われた。

 

東西約600㍍、南北約310㍍の地区内で、約760戸のうち約500戸が伝統的建造物。全国の重要伝統的建造物群保存地区でも例のない密集振りで、9件が国重文、2件が県指定、5件が市指定の文化財。

町家の白壁に並ぶ虫籠(むしこ) 家紋の浮き彫り…。

 

「伊藤先生は権力者が造った城や寺院より、民衆が暮らしてきた街並みが大事だと力説されていた」

民家の価値と保存の意義を説いた建築史家と、町との縁は終生続いた。自治都市の誇りは、町と人々の中に生きていた。

 

 

 

今井町の夕暮れ。東西に延びる「本町筋」から今西家住宅の屋根と山を望む。

 

 

 

 

左上の写真

浄土真宗の寺「今井御坊」明治天皇が近くの神武天皇陵ご参拝の折りには行在所になった。江戸初期の本堂は国の重要文化財。

 

 

 

 

 

    (2024・4・21 旅を旅して から)

 

 

 

今日はどんなラインが届くかな⁉ 楽しみです! ハートのバルーン飛び出すハート

 

明日から一泊で娘達に連れて行ってもらう三養壮…

○○さん! いつも有難うございます。(*- -)(*_ _)

 

 

 

 

 

 

(人''▽`)ありがとう☆ございました。