我が家のトピックス
お陰様で私は二番目のひ孫を授かりました。 主人は2人の
ひ孫を見ることなくこの世を去りましたのにね、欣喜雀躍、小躍りしたいほどの喜びをかみしめてますよ。
A子(私のお嫁さん)は八面六臂の大活躍!! 専業主婦の強みですね。 上孫の世話も多忙な中での喜びでしょう。
ガンバレ ガンバレ
昨日は小雨降る中、予約していた美容院へ行ってまいりました。帰りはしっかりと歩いて帰ることができ、自信を持てましたわ。 2・8㌔ 4500歩 歩きました。👍👍
次々と孫たちの朗報が飛び込んできて、生きる勇気を与えてくれてますよ。
今は朝の8時…階上、階下へ行ってまいりました。が…昨日のウォーキングが祟ってか…腹部と腰部の痛み、膝辺りの怠さ…故に、ゆっくり歩行…。昨日の幸せは 一時の夢だったのでしょうか… 身のほどをわきまえて行動しましょう。今日は80歳以上の方が対象の椅子体操に行ってまいります。
詩歌俳句賞「玉響(たまゆら)」
正木ゆう子氏(71歳)
コロナ禍の最中、大腸がんを経験し、手術後は何度も腸閉塞を患った。受賞作に収録された病と向き合った句は、悲観的ではなく、脈動する人の命、かけがえのない日常を浮かび上がらせる。
<寝返りを打つはずもなき手術台>
<身にしみて尿道管はわが温み>
今は早朝に自宅から歩いて20分の公園に向かい、ラジオ体操に励む。冬は夜と朝のあわいの時間が流れている。
<どちらかといへば暗いから
どちらかといへば明るいへと寒暁>
受賞作の題名『玉響』は、公園の原っぱに露がついている印象的な光景から取った。
<玉響のはるのつゆなり凛凛と>
2003年に句集『静かな水』で芸術選奨文部科学大臣賞。
2017年に句集『羽羽(はは)』で蛇笏賞。
2001年から 師・能村登四郎氏の跡を継ぎ、読売俳壇選者。
お茶の水女子大在学中に、兄の浩一さんの勧めで句作を始め、山本健吉の『現代俳句』で五七五のリズムに魅せられ、俳句会「沖」(能村登四郎主宰)に入会。
兄は49歳の若さで亡くなった。
<兄の死を嘆きし父母も亡くて春>
<兄の死ののちの嫂(あによめ)すみれ草>
(2024・2・14 読売文学賞の人々 から)
2色の クンシラン(君子蘭)
讀賣新聞 どっち派? より
読者さんの投稿から
種田山頭火
1882~1940年。山口県防府市出身。早大中退。少年時代に母親が自殺するなど、過酷な家系環境で育つ。季題や定型にとらわれない自由律俳句を推進した荻原井泉水(せいせんすい)に師事。1925年に出家得度し、翌年春に<解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅>に出て、句作を重ねる。晩年、自身の作品を集成した句集『草木塔』を発表した。
<分け入っても分け入っても青い山>
一人一人の長い人生の中に、それぞれ大切なものがあるはず.
<おもひでがそれからそれへ酒のこぼれて>
内面を重視する自由律俳句には、有規定型にない味がある。
字余りにすることで思い出話が尽きず、溢れる情景が浮かぶ.
母や弟の自殺、家業の失敗など、相次いで苦難に見舞われ、さすらいながら句作した。
<どうしようもないわたしが歩いてゐる>
幾多の不幸を乗り越えられない、ふがいない自分に苦悩する。「どうしようもない」と自虐的に詠む切なさ。
苦しみの中で紡がれた山頭火の言葉だからこそ、多くの人の人生に寄り添う。
<だまって今日の草鞋(わらじ)穿(は)く>
人生を支えてくれる句。生きる辛さを感じた時、決まって口ずさんできた。どれだけ救われてきたことか。
<もりもり盛りあがる雲へあゆむ>
仕事で大失敗した際に句を読んで落ち着くことが出来た。
彼の句は敗者の句。だからこそ優しさに溢れている。
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若山牧水
1885~1928年。宮崎県日向市出身。早大卒。中学時代から作歌を始め、流麗な自然詠で知られる。旅や酒とともに、情熱的な恋愛の歌も詠んだ。瑞々しい第1歌集『海の声』に始まり、円熟味を増す第13歌集『くろ土』など、15の歌集がある。『みなかみ紀行』など紀行文も有名。後年は静岡県沼津市で暮らし、千本松原の保存にも取り組んだ。
<白鳥は哀しからずや空の青
海のあをにも染まずただよふ>
若き日の牧水の孤独や哀しみがにじむ。
<幾山河越えさり行かば寂しさの
終(は)てなむ国ぞ今日(けふ)も旅ゆく>
教師が教室いっぱいに響くように朗々と歌い上げた。
<けふもまたこころの鉦(かね)をうち鳴(なら)し
うち鳴しつつあくがれて行く>
哀しくても、寂しくても、心の鉦を打ち鳴らし、心を
燃やして生きていく。上の3首は人生の指針。
<白玉の歯にしみとほる秋の夜の
酒はしづかに飲むべかりけれ>
旅と酒の歌が多いけど、孤独感の溢れる漂流歌人だった。
<多摩川の砂にたんぽぽ咲くころは
われにもおもふ人のあれかし>
春に恋人との出会いを期待する思い。抒情的で生活感
あふれる詩に共鳴する。今の季節にぴったり。
(2024・3・24 讀賣新聞 HONライン倶楽部 から)