2021年4月 バラ;カクテル

 

 

 

 

ブログで拝見する高齢者の皆々様の、身体の不調に打ち勝ちながらも常に前向きに過ごそうとなさってるご様子に勇気を頂いてます。お互いに励まし合っておられる様にもほのぼのと心の中が温かくなりますね。

 

心の中の「こんな身体になってしまって…」という、痛みに耐える辛さにも、「私だけじゃない」という連帯意識が得られて力強くも思います。

 

実際に言葉を交わし合う友人以外で、紙面上での友人関係で孤独感を味わうことなく生きていける場があるというのは今の時代の有難いシステムですね。ブログでなくても、スマホのラインやSMSで孤独感を持たずに済む有難さに感謝したいものです。ハートのバルーン飛び出すハート

 

 

 

 

 

 横浜ベイブリッジ「スカイウォーク」

 

横浜港を見下ろす数々の景観スポットの中で、潮風に吹かれながら海の真上を空中散歩できるのが、大黒ふ頭の屋根付き遊歩道「スカイウォーク」(横浜市鶴見区) 正式名「横浜市道スカイ・ウォーク」。横浜ベイブリッジを通る国道357号の両脇にあり、海抜は約50㍍。

 

 

 

陸側のエレベーターを昇ると延長320㍍の往路と復路が延び、折り返し地点に360度を見渡す展望ラウンジがある。

 

 

 

紆余曲折を得て再開後は、

入場無料で、解放は土日祭日の午前11時~午後6時。冬場は夜のライトアップ行事に合わせ延長される。交通は、便数の少ない路線バスかマイカーとなる。

 

 

     (2024・4・20 神―1 グランプリ から)

 

 

 

 

 

定家の直筆書 発見

 

鎌倉時代を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が記した古今和歌集の注釈書「顕注蜜勘(けんちゅうみつかん)平安時代に編纂された日本最初の勅撰和歌集である古今和歌集の注釈書で

平安末期~鎌倉初期の僧・顕昭が記していた注釈「顕注」に、定家が解釈「蜜勘」を加え、1221年にまとめたもの。)の原本が、定家の流れをくむ冷泉家(京都市)で見つかった。公益財団法人「冷泉家時雨亭文庫」が発表した。

 

写本が重要文化財に指定されているが、直筆書が確認されたのは初めて。

 

 

 

130年ぶり開封の木箱に

 

 

直筆書は、冷泉家が蔵で保管していた「古今伝授箱」に入っていた。「定家様(ていかよう)」と呼ばれる特徴的な字体で書かれ、ペンネームとして用いた「八座沈老(はちざちんろう)」の文字や花押などもあり、定家直筆と判断できた。

 

「直筆書には、定家の推敲の跡も生々しく残っており、国宝級の発見と言える」(久保田淳・東京大名誉教授(和歌文学))

顕昭と考えが同じ場合は「一同」などと簡易な記述だが、異なる場合は余白に書き切れず、色紙を貼って書き足した部分もあった。

 

冷泉家は定家の孫にあたる為相(ためすけ/鎌倉後期)を初代とする歌道宗家で、代々朝廷に仕え、将軍家の歌道の指導にもあたってきた。

 

歌人としての定家の思いも書かれていた。古今和歌集の選者の一人である壬生忠岑(みぶのただみね)が詠んだ<有明のつれなく見えし別れより 暁ばかり憂きものはなし> を高く評価し、「歌人として生まれたからには一生に一度はこんな歌を詠んでみたい」との内容の記述があった。

 

顕注蜜勘が入っていた古今伝授箱は、数万点の史料が収められている冷泉家の蔵で保管され、代々の当主が一生に一度だけ開いてきた。中の書物を書き写して歌学の修練に励み、成果を後世に伝えてきた。

 

経緯は定かでないが、明治期の130年前を最後に開かれず「恐れ多いもの」として守られてきた。冷泉家で1980年から進められてきた調査の一環で2022年に開封され、顕注蜜勘のほかに、冊子59冊古文書58点も見つかった。

 

冷泉家は『文書の正倉院』であると改めて認識した」(小林一彦・京都産業大教授(和歌文学))

 

 

     (2024・4・19 讀賣新聞 から)