2021年4月
昨日はコーラスに出かけました。5年間リーダーとして活動して下さった松○さん…今期は別のお仲間が引き受けられて、一応お役御免。今後も相談役として頼りにすることに。会場確保は今期も引き続き菅○さんとわたくしめが引き受けることとしました。菅○さんは連絡表やら当番表やらの印刷物も引き続きなさって下さいます。出来ることを出来る人がしましょう…という ボランティア精神旺盛なおばあさん
集団なのですよ。
歌とお茶の時間は楽しく過ごせたのですが、帰ってくるなりバタンキュー(*´σー`)エヘヘ。 体力と精神力とのバランスを上手に維持しながらこれからの人生も楽しまなければと思った一日の終わりなのでした。
2021年4月
島根県 出雲
凄い、凄い、三○○本以上とは”出雲王国”の前提が見えてきたな
門脇禎二「古代出雲」(2003年)
荒神谷(こうじんだに)遺跡(島根県出雲市)で弥生時代中期の銅剣が大量出土。1984年8月、共同記者会見が行われたその日に古代史家:門脇禎二はたまたま、別件の読売テレビ(大阪)の収録で出雲に来ていて一報に接した。興奮の中、書いたのが冒頭のメモ。
荒神谷遺跡から出土した銅剣358本は古代出雲歴史資料館で全点展示している。手前が緑青を帯びた現物で、壁面にピカピカの復元品を並べている
銅剣は計358本。銅矛16本、銅鐸(どうたく)6個の出土。
門脇は銅剣の本数と、「出雲国風土記」に出てくる神社の数、399に関連があると考えてみた。
後日、遺跡を訪れた時のメモには、
「神奈備山(かんなびやま/仏教山(ぶっきょうざん))が望見できる。神庭(かんば)の地は並の所ではない」と書いた。
神庭は遺跡の地の大字で、南西約3㌔の仏経山は神の隠れこもれる神奈備山とされてきた。
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40年後の今、遺跡は出土時の状況を再現整備。周辺は荒神谷史跡公園となり、園内の荒神谷博物館では復元模型やパネル展示で解説している。ピカピカの復元品を手に持つこともできる。
現物は、古代出雲歴史博物館にあり、緑青に覆われている。
96年には荒神谷の南東3㌔、加茂岩倉遺跡から全国最多となる銅鐸39個が出土した。国譲りの際に埋められたという説がある。国は譲るが、祭祀の道具である青銅器は隠した、と。2000年ぶりに姿を現した青銅器は出雲大社横の古代出雲歴史博物館にある。
国宝に指定された銅剣、銅矛、銅鐸計419点が一室に並んでいる。「国宝は原則、展示期間が限られるが、ここでは定期的に点検、保存しながら常時お見せしている。その数に意味があるので」。
別室には、これも近年、出雲大社で出土した宇豆柱(うずばしら)と、レプリカの心御柱(しんのみはしら)(本物は出雲大社宝物殿にある)が置かれている。3本の杉の大木を束ねた巨大な柱で、鎌倉時代の1248年に造営された本殿の柱。
宇豆柱
大量の青銅器出土によって”出雲王国”の実在がにわかに現実味を帯びてきた。
荒神谷の西約7㌔、弥生時代後期の西谷墳墓群には全国最大級の四隅突出型墳丘墓が4基含まれる。
墳墓群史跡公園の隣にある出雲弥生の森博物館を訪れる。
「被葬者は代々の出雲王だったでしょう。それが神話に出てくる神々と一致したら面白いのですが」。
墳墓の上に登ると出雲平野が見渡せる。
出雲は数々の神話の舞台となっている。●ヤマタノオロチの退治伝説、●海の向こうの土地を引き寄せた国引き、
●オオクニヌシによる国造り、そして●高天原のアマテラスへの国譲り。その代償でオオクニヌシは出雲大社にまつられた。
国譲りの舞台となったのが西1㌔の稲佐の浜。高天原の使者はここに降り立ったという。
国譲りの神話で高天原からの使者が降り立ったとされる稲佐の浜。砂浜が広がって弁天島という岩山は今、地続きになっている
(2024・3・31 旅を旅して から)