赤ちゃんポスト体験者様の記録です。
義娘が持ってきてくれたムスカリ…
沢山蕾がついてますよ。楽しみ~
湿原の穂
そよそよと ゆらゆらと 粛々と 湿原の穂はどこまでも
揺れて流れて さやさやと・・・ やがて海へと消えてゆく 広大な海の彼方へ消えてゆく ちがや か すすき か 私の心 か・・・
今朝方、このような情景が浮かんできて、静かに目覚めました。自然は良いですね・・・深層心理がふくまれてるかしら? (*´σー`)
85歳の集い…まだまだ継続してほしいものです。そのような話も出ましたよ。それの余韻だったのかも知れません。
フレイル予防のポイント
フレイルとはどのような状態か
加齢によって心身が衰えた状態の事。健常と要介護の中間にあたる。軽く見ていると下り坂の傾きが急になるかのように、要介護の状態に陥りやすくなってしまう。ただ、この時期は、頑張れば元の状態に戻ることのできる「可逆性」がある。より早く動き出した方が、元の健常な状態に戻れる可能性が高い。
フレイル予防で大切なことは
三つの柱として運動、栄養、社会参加が挙げられる。これらは三位一体。「タンパク質を誰と、どのように、ワイワイ食べるか」
予防に向けた活動を取り巻く環境は
社会参加がしやすいように、通いの場など、地域での受け皿整備が欠かせない。
新型コロナウイルス感染拡大による影響は
自宅待機により高齢者の身体機能は確実に落ちる。今は交流を再開する動きが広がっている。
(2024・3・25 讀賣新聞から)
わずか10日ばかり、ほとんどをベッドで過ごした所為で、脚の感覚に少し違和感が起こりました。これではいけない大変‼ 明日は体操に出かけますよ。
熊本県 山鹿(やまが)市
余が最初の温泉の記憶は、山鹿からはじ
まる。 徳富蘆花(「死の蔭に」1917年)
群馬・伊香保を始めとする各地の温泉を愛した作家、
徳富蘆花がその原点に思いを馳せ、5歳の頃という甘美な
記憶に浸る。ーーーーーー
江戸時代の木造建築様式の公衆浴場「さくら湯」
愛媛の道後温泉と同じ「唐破風(からはふ)」玄関を
備え、天井が高くゆとりある空間
約50年前、一帯の大火を契機とする再開発に伴い、取り壊されていた。だが、灯籠師・徳永正弘氏(15年逝去)が、その姿を和紙工芸としてとどめていた。屋根に上って瓦の数まで調べ上げた精密さで。そのお陰で2012年復元を可能にした。
1913年(大正2年)秋、45歳の蘆花は妻らとともに伊勢、大阪、九州、韓国などを巡る3か月の大旅行を敢行した。自身の生誕地・水俣を始め、熊本訪問には特に時間を費やした。
「山鹿は20年ほど前のほろ苦い思い出を蘇らせる場所だった」。(蘆花の評伝の著者・半藤英明・熊本県立大教授)
蘆花は婚姻時などに妻の実家ともめ事があり、その親類縁者がいる山鹿は、過去の清算を図るために旅程に組み入れた。
そのためか、詳細に綴るのは10代までの思い出。それでも、昔なじみの地への目線は温かい。「温泉と、雪白にして強靭な紙一式で宮殿楼閣の精巧をつくした山鹿灯籠とは、山鹿人の誇とする名物の二つである」
山鹿灯籠
紙と糊だけで作られる伝統の和紙工芸で、代表的な金灯籠
(かなとうろう)の意匠は街の至る所で見て取れる。木や金属
の骨組みを用いず、内部が空洞化した「骨なし灯籠」。
参勤交代道だった豊前街道は、さくら湯を中心として南北約1㎞にわたって明治・大正期の建物が立ち並ぶ。白壁の蔵や商家が軒を連ねる。印刷所やバレエ教室までが統一の木製看板を立て、風情ある町並みを形作る。
山鹿が誇るもう一つの名物「八千代座」
「廃屋同然だった明治の芝居小屋は、板東玉三郎氏の定期公演などで息を吹き返した」
(2024・3・24 旅を旅して から)