「中西 進氏の履歴」連続掲載の中の一部です。
四 季
長谷川 櫂氏 選&解説
<数日のうちには雪が降りそう。わたしは思い出す/
去年のことを。暖炉のそばで あの悲しみのことを
フランシス・ジャム
フランシス・ジャムは百年前のフランスの詩人。スペイン国境ピレネー山麓の村に住み、素朴で力強い詩を詠み続けた。
いま暖炉の火の前で思いだしているのは、過ぎ去った日の「古い悲しみ」。『フランス名詩選』から。渋沢孝輔訳。
<映画ならトイレに行くのにちょうどいいシーン
みたいな今を生きてる> 岡田美幸
若い人は今どんな人生を生きているのか。この歌はそれをうかがうのに一つの参考になるかもしれない。「トイレに行くのにちょうどいい」と堂々といえる。十年前にはなかった発想。1991年生まれ。歌集『グロリオサの祈り』から。
<子のためにただ子のためにある母と知らば
子もまた寂しかるらん> 三ヶ島葭子
お母さんはあなたのためだけに生きている。それを知ったら寂しい思いをするでしょう。赤貧の淵で赤ちゃんに語りかける歌。この子とも引き離される運命が待っていた。昭和2年
40歳で病没。『新版 三ヶ島葭子(みかじまよしこ)全歌集』から。
<ひきわかれ年は経(ふ)れども鶯(うぐいす)の
巣だちし松の根をわすれめや> 明石の姫君
明石の姫君は光源氏と明石の君の娘。事情あって紫の上の養女として育てられる。ある年の正月、「お便りを」という産みの母の歌に返した姫君の歌。長く別れて暮らしていますが母君を忘れません。このとき八歳。『源氏物語』初音から。
<深山に蕨(わらび)とりつつ亡びるか> 鈴木六林男
敗戦後、厳しい食糧難が国中を襲った。やせ細ってゆく自分たちの姿に古代中国の隠者が重なる。伯夷(はくい)、叔斉(しゅくせい)は清廉の兄弟。道理なき乱世を嘆いて山に隠れ、蕨や薇(ぜんまい)を食べ、ついに餓死したという。
高橋修宏編『鈴木六林男(むりお)の百句』から。
<春やとき霞(かすみ)やおそきけふも猶(なお)
昨日のままの峯の白雪> 伏見院
伏見天皇は鎌倉時代の帝王。書に秀で、歌に優れた人だった。きょうは立春なのに、山々はきのうのまま雪を頂いて澄み渡っている。春が早く来すぎてしまったのか、それとも霞が遅れているのか。和歌文学大系『新後撰和歌集』から。
<火を持つて御燈祭(おとうまつり)を下りたしや>
茨木和生
新宮市(和歌山県)の神倉山の頂にあるゴトビキ岩。御燈祭はこの巨岩を神体とする神倉神社の春迎えの行事。2月6日夜、上り子たちが神火を分けた松明(たいまつ)を掲げていっせいに山道を駆け降りる。1939年生まれ。
句集『わかな』から。
(お好きなものがありましたか? 私は
<子のために・・・>に惹かれました)
今日は歎異抄講座の2回目に行ってまいりました。明日少しだけでも書きたいなと思ってます。
(人''▽`)ありがとう☆ございました。