2016年12月
有り合わせの花材を投げ入れてます。
大晦日になりました。一年間 曲がりなりにもブログを続けることができましたのは、ご覧くださってる皆々様のお陰だと心から感謝申し上げております。拙いブログも私には生活の一環としての大切な場…少しづつ簡単なものになってきてると自覚してますが、これからも(気持ち的には)張り切って続けますのでよろしくお願いいたします。
どうぞ良いお年をお迎えくださいませ
下記は3年前に綴りました。
大勢の著名な方がご逝去なさいました。
四 季
長谷川 櫂氏 選&解説
<ショーウインドーの中の夜業も銀座かな>
蟇目良雨(ひきめりょうう)
デパートや老舗の並ぶ銀座はいまなお華やかな街。客の退いた夜、ショーウィンドーの模様替えをしているところ。オペラの幕間に大急ぎで舞台装置を入れ替えるように。昼の顔を作る夜の作業。夜業は秋の季語。句集『ここから』から。
<いつでも真剣(マジ)どこでも本気(マジ)と書かれてる
Tシャツを着てする皿洗い> 郡司和斗
「真剣」も「本気」もじつは重たい言葉。それをラップの文句のようにTシャツにデザインしたところから、今の時代の軽い空気が生まれる。真剣も本気も肌に触れているのに遠い所にある。1998年生まれ。歌集『遠い感』から。
<斜めに射し込む光があります、冬の日の午後ーーー
大聖堂の調べの重みのように、 ディキンソン
エミリー・ディキンソン! その詩には19世紀アメリカ東部の田舎町の勤勉で慎ましい空気が今も眠っている。地上を照らす天上からの冬の光に、詩人は大聖堂の荘厳な音楽を聞いている。亀井俊介編『対訳 ディキンソン詩集』から。
<ただようてゐるスケートの生者たち> 岩田 奎(けい)
長野県軽井沢の森に池を凍らせたスケート場がある。「ただようてゐる」は空の下のそんなスケート場にふさわしいが、屋内でもこの感じはするだろう。氷の上をはかなげに漂う人々。1999年生まれ、20代半ばの人。
句集『膚(はだえ)』から。
<熱燗や間欠泉のやうな奴> 蟻塚尚孝
酒好きもいろいろ。大酒飲みもいれば、ちびりちびりと楽しむ人もいる。高々と湯を噴き上げたかと思うと、ひたと鳴りを潜める。そんな間欠泉氏が今宵の酒の相手。激烈なことをいうがゆえに根は至って純情。句集『鶴のこゑ』から。
<天地(あめつち)のこころあらはに あらはれて
輝けるかも富士の高嶺は> 若山牧水
静岡県沼津市の砂浜につづく千本松原。ここからの富士山の眺めは素晴らしい。伐採計画が持ち上がると、近くに住む牧水は反対の論陣を張った。昭和2年(1927年)冬の歌。
翌年43歳で死去。伊藤一彦編『若山牧水歌集』から。
<何もかも済みたる顔で晦日蕎麦(みそかそば)> 本間 清
大晦日の晩の年越し蕎麦を晦日蕎麦という。一年間のあれこれが終わって新しい年を迎えるばかり。実は何もかも片付いたわけではないが、此処は一年の最後、「何もかも済みたる顔で」という思いののぞく一句。句集『泉の森』から。
<大晦日定めなき世のさため哉(かな)> 西鶴
未来はわからない。そこでこの世「定めなき世」という。それなのに一年の貸し借りを清算する大晦日は必ずやってくる。それこそ無常の世の非情の定めであるというのだ。井原西鶴は芭蕉と同時代の大坂の人。『定本西鶴全集』から。