亡夫が晩年に好んだ木村好夫氏のギター演奏

 

 

孫との会話で…

おばあちゃん「おばあちゃんが死んだら守護霊で守ってあげるからね」

お父さん「怖いからやめて! 静かに天国から見守ってて♡♡♡」

              (理系男子 ナイーブな子)                               

おばあちゃん(・_・D フムフム

 そういわれればそのような気もするわね・・・ニコニコ

 

昨夜は久し振りにテレビPCが(少しだけ)みだれて、ガタン、カタンと時間を置いては音がした。数回耳にした。ピリピリあんぐり

 

少しも怖くはないのですが… 

おばあちゃん➡亡きおじいちゃんへお願いをした。心の中で願った・・・飛び出すハート

「上の方から見守っててください。降りて来なくていいから、上から見守っててください♡♡♡」 その後、ふとん1熟睡。

 

 

 

 

 

 

mRNAワクチンの立役者

カリコ氏

新型コロナウイルスに対抗するメッセンジャーRNA(mR   NA)ワクチンは、2020年にスピード開発された。その基盤技術を築いた立役者がハンガリー出身のカタリン・カリコ 米ペンシルベニア大客員教授(66)。

 

 

 

優秀な人材 米に集い競う

世界最高峰とされる米国の研究レベルの高さは、カリコさんのような優秀な人材が海外から集まり、厳しい競争を日々繰り広げることでなり立っている。

2015年に日本の科学技術振興機構が公表した報告書では、米国のノーベル賞受賞者の4分の1が外国生まれという。

昨年に物理学賞を受賞した米プリンストン大上席研究員の真鍋叔郎氏(90)も1958年に渡米し米国籍を取得。複雑な現象をコンピューターで計算できる気候モデルを世界に先駆けて確立し、地球温暖化研究の道を切り開いた。

グーグル社など米国を代表する多くのIT企業も移民によって設立された。

新型宇宙船クルードラゴンによる民間宇宙旅行で話題を集めた米宇宙企業スペースXの創設者イーロン・マスク氏(50)は、南アフリカ出身。

ただ、「自国第一主義」を掲げたトランプ前大統領は、安全保障上のリスクや自国民への雇用の確保を理由に、海外から訪れる研究者や技術者のビザ(査証)の発給停止を積極的に進めた。   

 これに対し、米国内の大学や企業は 「米国の強みを失わせる『自傷行為』だ」などと猛反発。

昨年に発足したバイデン政権は一転してビザの発給制限を緩和するなど、優秀なグローバル人材の確保を図っている。

 

 

ハートのバルーン  オーナメント  ハートのバルーンハートのバルーン  オーナメント  ハートのバルーン  

 

カリコ氏は1955年、ハンガリー東部生まれ。国立セゲド大学で生化学を東西冷戦のさなかに学ぶ。76年頃、魚の脂肪を研究。80年代初めDNAを脂質の膜に包んで動物の細胞に送る実験に参加。 

当時「奇抜なアイデア」と思ったが、これがmRNAワクチンの源流になった。

ソ連で政治改革運動「ペレストロイカ」が始まった85年、製薬会社の研究費が打ち切られたのを契機に、夫と幼い娘3人  での米国移住を決めた。当時は100㌦以上の外貨を国外に持  ち出すことが禁じられており、娘のスーザンの縫いぐるみ「テディペア」の中に     

900㍀のお金を隠して持ち込んだ。

米東部ペンシルベニア州内の大学で研究者の職を得たが、その後も不遇の日は続いた。政府や企業に研究費を申請しても落ち続け、ポストを降格される憂き目にも遭った。

 

 

mRNAは、たんぱく質の設計図にあたる小さな分子。細胞は毎日、mRNAの情報を基にたんぱく質を作っている。ウイルスのmRNAを人間の細胞に入れれば、細胞はウイルスのたんぱく質を作り始めこのたんぱく質を攻撃した免疫がウイルスの特徴を覚える。 

これがmRNAワクチンの発想である。

 

カリコ氏は当時、ワクチンに限らず「病気の治療に使える   mRNAを開発したいと常に願っていた」と振り返る。だがmRNAは壊れやすい。薬になると信じてもらえなかった。

動機は97年、ドリュー・ワイスマン教授(62)との出会いだった。参考論文を印刷した時に大学内のコピー室に居合わせ会話を交わ  したのが共同研究を始めるきっかけに。2人は朝から夜遅くまで研究に打ち込める長所が共通し、mRNAを安定化させるため課題を一つ一つ克服した。

 

ピリピリ最大の壁は、免疫の攻撃だった。ピリピリ

mRNAは体外から入れると強い炎症が起きる。そこで免疫

攻撃を受けない別のRNAに目を付けた。免疫がRNAを侵入  者と判断する「目印」を突き止め、その部位を換える方法で攻撃をすり抜けさせた。

この2005年の論文も注目されなかったが、研究を地道に続けた。その価値に、企業が気づいた。うずまきドイツの製薬企業ビオンテックが13年にカリコ氏を役員に招き、研究は時流に乗った。

 

カリコ氏はこの1年で米国で最も権威ある医学賞「ラスカー  賞」、シリコンバレー版ノーベル賞といわれる「ブレイクスルー賞」など世界の有名な医学賞を立て続けに受賞した。 

 

テディペアの持ち主だったスーザンさんはボートの米国元代表で、08年北京五輪と12年ロンドン五輪で金メダリストになった。

 

カリコ氏への称賛はパンデミック(世界的大流行)の出口が見えず救世主を願う空気も後押ししてるだろう。だが本人は英雄視を好まない。 ノーベル賞有力候補と騒がれていた昨秋に連絡を取るとメールでこんな回答が返ってきた。

 

ハートのバルーン「私の数十年間の研究生活は生死がかかっていたわけではありません。パンデミックでの本当のヒーローは、ワクチンが完成する前に自らの命を懸け、患者に対応した医療関係者です」。コロナ禍で世界の対立が深まる今、誠実で謙虚な

人柄が一番の人気の理由かもしれない。

 

 

(2022・1・9 讀賣新聞 News 門 から)

 

 

 

葉山までのドライブに、オババも乗せてもらって・・・

( ^ω^)・・・♪

 

 

楽しかったですよ~! 幸せです~~ 飛び出すハート

 

 

 

自宅に戻りお一人さんケーキ…;つД`)

 

今の状態が最善だと思ってますから、まだまだ・・・指差し

   しかし … 一人は 寂しいです悲しい… (´;ω;`)…  

 

エイッと気分を変え、用をしてましたら、電話電話・・・

何と何と、娘が小学生時代のお母さま(私の友人)からでし   た!年賀状のみでのお付き合いでしたのにお互いに変わらな  い声の様子に40数年という期間が一瞬で飛んでしまいました  

 

亡夫が引き寄せてくれたのですよ。

(喪中はがきからですけれどニコニコ

 

 

♡♡♡ ありがとうございました ♡♡♡