1年前の今日 あれこれと語っております。
ポトンと一輪ずつ落ちてますから椿でしょうか・・・
隣には山茶花の花弁が一ひら二ひらと落ちてました。
磯田道史氏の古今をちこち
徳川家康の腫物(はれもの)治療の逸話
家康は浜松城にいた時代、粉瘤と思われる腫物に悩んだ。
素人治療で腫物を若い児小姓(こごしょう)たちに蛤の貝で挟んで
引き抜かせ悪化。「御遺言を遊ばされ」 「近国にては既に御他界と沙汰」される程だった(『岩淵夜話別集』)。
ところが本多重次など側近が患者力を発揮した。世界的視野と実証実験を重視して良医の治療を探した。 一説には「唐人医者」(『紀伊國物語』) 「明医(みんい)」(『砕玉話』) ともいう勝屋長閑という者の腫物治療をうけ全快した。
私も小児科医の義弟の協力を得て世界中から英文・邦文の論文を集め研究することにした。結果、「頸部神経鞘腫(けいぶしんけいしょうしゅ))は比較的稀な疾患で「標準治療」が確立されているとまではいえないらしい。
しかし昭和大学病院の嶋根俊和教授が「被膜間摘出術」を改良。
この手術の名手。130例以上執刀していて症例数が多い。
通常の頭頚部外科医は1例か多くても10例以内の手術経験のようだ。 執刀医によって治療成績の差がまだ大きい段階ともわかった。親切な方々が嶋根教授を紹介して下さり、転院先の大学病院も紹介状を書いて送り出してくれた。
嶋根教授はすごい。MRI画像をみただけで「これは交感神経にで きた腫瘍」と言い当てた。
ただ嶋根教授の執刀でも神経脱落のリスクはゼロにはならない。
5時間以上の手術だったが、嶋根教授は精密な手術で6㌢の腫瘍だけを見事に抜き出してくれた。
おかげで私の瞳孔も瞼も守られた。
稀な病気の場合、医師は忙しくても最新の医学論文を検索し、他の得意な医者を患者に示す手間をとり、患者側も自分の病気を調べる努力が必要だと感じた。
(2021・11・17 文化 から 抜粋転記)
鈴生りの柚子の実
デビュー前 田辺聖子氏未発表4編
軽妙な文章 来月刊行
作家・田辺聖子氏(1928~2019年)が、終戦前後の女子専門学校時代に書いた未発表の短篇小説3編、中編小説1編が見つかった
デビュー後の作品に通じる分かりやすく軽妙な文章で、既に読者の存在を意識していたようにも読める。
12月刊の「田辺聖子 十八歳の日の記録」 (文藝春秋)
1945年4月1日から47年3月10日までの日記帳に記されていた。
短編には、当時流行した冒険小説や吉川英治の作品などの影響もあってか、異国情緒が漂い、「蒙古高原の少女」と題された少女スパイの物語もあった。
中編は無題で未完。45年末の父の没後から翌年に懸けて書かれたと考えられ、向学心に燃える女子専門学校生の姿を活写しつ つ、学徒動員や空襲など不穏な世相にも言及。樟蔭女子専門学 校(現・大阪樟蔭女子大)在学中に工場に動員された体験に基づ
くとみられる。
今回の本で解説を書いたノンフィクション作家の梯久美子氏談
「終戦や父の死を経て、この作品が書かれたことが重要。私たち が『暗黒時代』と決めつけがちな戦時中にも、青春のきらめきがあったと分かる。新時代を生きる前向きな気持ちと、戦時中の青春を否定したくない思いがあったのだろう」
(2021・11・16 讀賣新聞から)
第63次越冬隊
11月10日 横須賀港から南極観測船「しらせ」に乗船、
南極大陸上陸後はヘリコプターで昭和基地へ向かう。
2023年3月帰国予定。
明治大学鈴木秀彦准教授(38)研究室の
院生・遠藤哲歩さん(23)が越冬隊員として向かう。
平均気温が氷点下10度の南極・昭和基地周辺で、夜光雲の他、 地磁気の測定や、宇宙天気と宇宙線の関係、オーロラ変動メカ
ニズム、大気電場活動など多岐にわたる観測を行う。
観測用アンテナの保守点検や機材の運搬、設営作業等も任務。
「大学での研究テーマである夜光雲の小型気球観測を、将来的に
南極で行えるよう最善を尽くしたい。実際に夜光雲を見て、写真が撮れたらうれしい」
鈴木研究室 「夜光雲」研究
未解明な部分が多い夜光雲。カメラを付けた気球を雲の上に飛ばしたり、航空会社の協力で航空機にカメラを付けて観測し、分析している。
夜光雲
地球と宇宙の境目にあたる高度80~90㌔の超高層大気の底部で光る細い雲。水の結晶が太陽光を散乱することで生じる。
北極と南極の近辺だけで超高層大気が冷たくなる夏に見られていたが、最近は北海道などでも出現している。二酸化炭素とメタンの増加によって出現頻度が増えたとみられ、地球温暖化などの環境変化が原因だと考えられている。
鈴木准教授
第49次越冬隊(高層の大気が太陽紫外線に反応して光を発する大気光の研究)
第55次夏隊(夜光雲研究) に参加経験。
「雲の形や動きから、観測が難しい超高層大気のことを知ることができる」 と夜光雲の魅力を語る。
(2021・11・4 讀賣新聞から)
四 季
長谷川 櫂氏 選&解説
(さと)
茶の花や母なきあとの母の郷 田中清司
母親が40代半ばで亡くなった。
「母あらば母を背負はむ草の花」という熱い句
もある。それを少し冷ませばこの句になるだろうか。
母とのつきあい方は人によってそれぞれだが、どの
つきあいも母の死後までつづく。句集『草の花』から。
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今は夫が亡くなり日が浅いがために、亡き両親のこと、親類の親しき方々のこと、友人・知人たちの事 等に心が向いてないように思いますが、皆々天上での穏やかなときを過ごしているのでしょうか・・・
夫が死に、曾孫が生まれ、孫達もみなそれぞれに今生を逞しく生きております。輝かしき未来に栄光あれ‼といつも祈念してますの。
それで・・・わたくしのつまらぬ頭でまたまた???の経験を
してしまいました。
TV !
故障間近なのかしら?
あるサスペンスドラマを見ておりました。深刻な場面で突然
稲妻 稲妻 稲妻 ざあざあ振りの雨(1回)の画面!
これは本当の画面だと理解できました。(おそらく本当)
サスペンスの盛り上がり場面ですから。
が、
画面に線が入り見えずらくなり、すごい音もしました。TVが揺れたような気がしました。 私は冷静に「見届けなきゃ!」って思いました。
これはTVが故障したの??? とも思いました。
ドラマが終ると何事もなかったかのように元のTVに戻った・・・。
(チャンネルを変えたのです)
怖くもなんともなかったのですが、飛び出す画面のような、
不思議な映像と音との感覚でしたのよ。
どうも無知(科学的な根拠が分からない)な私には
理解し難いひと時なのでした。
笑ってやって下さい…
午後9時 階下へ降りて撮ってまいりました。👍
ありがとうございました_(._.)